現在、上智大学には3つの直営寮があります。祖師谷国際交流会館、アルぺ国際学生寮、枝川寮。地方出身者はもちろん、世界各国から集まる留学生が、出身・学年・専攻を超えて共に暮らし、学び、成長する場です。
今回は、形を変えて学生たちを支えてきた学生寮の原点に立ち返ってみましょう。その始まりには、戦後の困難な状況に立ち向かったひとりの神父がいました。
1.学生の困窮を救ったボッシュ・タウン
1945年10月25日、戦後の混乱の中で授業が再開されました。復員した学生たちの一部は軍服姿のまま教室に戻ることができましたが、下宿難や食糧難に苦しみ、学業を諦めざるを得ない学生も多数いました。
「上智大学新聞」(学生発行の新聞)第2号(1946年6月1日付)は、当時の状況を次のように報じています。
「“下宿を何とかしてくれ”という声が殆ど毎日の様に生活部員を困却させている。漸く下宿があっても配給以外に過分のコメを要求したり、食事ナシで月百円(六畳)では羽振の良い戦争肥りならいざ知らず学生には手が出ない。欠席者の三割が下宿難の為だとあれば大きな問題である。戦災者のみならず困っている学生たちにもすみやかに遊休大邸宅が開放されなくてはならない。」*1
学生たちの切実な声に応えるため、大学は学生寮の建設を決断します。その先頭に立ったのが、当時学生課長であったフランツ・ボッシュ神父です。終戦の1945年に、吉祥寺に約50人が暮らせる寄宿舎を整備しました。しかし大学から遠いなど、不都合が多かったため、米軍払い下げのカマボコ兵舎を買い取り、構内に移築しました。こうして学生寮が誕生したのです。カマボコハウスは全部で12棟あり、そのうち5棟が学生寮、1棟が学生の集会所、残りは教職員住宅やソフィア会事務室として使用されました。
入寮式が行われたのは、1948年4月20日です。1棟の入居定員が16人、全部で80人が居住しました。舎監のボッシュ神父にちなんで、ボッシュ・タウンと呼ばれていました。その後、1957年に新たな学生寮ができるまで、寮生たちはこの寮で、イエズス会神父の舎監とともに共同生活を送っていました。
2.ボッシュ・タウンの運営と寮生活
ボッシュ・タウンは自治寮でしたが、規則は厳格でした。寮生は、6時30分のサイレンとともに起床し、1号館地下にあった食堂で朝食をとりました。日本全国が食糧難の時代であったため、『上智大学学生寮創立30周年記念誌』(以下『学生寮30年誌』)によると、「朝はコッペパン、昼はどんぶりひたひたの湯の中にさつま芋、野菜、申し訳程度にご飯が浮いている雑炊。夜はうどんが常食であった」と記されています。風呂は大学創立当初から使用していたもう一つの寮である「聖アロイジオ塾」のものを利用し、夜の7時から11時までが自習時間で、11時に消灯。また、週1回のハイキング、月2回の討論会、その他バレー、卓球、野球などの運動競技も行われていました。
ボッシュ・タウンの寮生は、1957年に上智会館の中に新設された学生寮に、聖アロイジオ塾の寮生と共に転居しました。その後、このボッシュ・タウンは、「Q校舎」(Quonset House)と呼ばれ、1棟に50名定員の教室として使用され、講義が行われていました。また、1962年には、学生たちのクラブハウスとなりました。新クラブハウスとして5号館が建設されたのを機に、ボッシュ・タウンはその使命を終え、1967年に取り壊されました。
3.フランツ・ボッシュ神父
戦後の学生寮の建設にあたり、中心人物として活躍したボッシュ神父は、規則に厳しかったものの、学生たちを心から愛し、彼らの生活を支援しました。学生たちは神父を“おやじ”と呼び、慕いました。同じドイツ人でボッシュ神父をよく知るクラウス・ルーメル神父(元上智学院理事長)は、次のように語っています。
「日本の若者たち、特に戦後の、しばしば裏切られ、誤った指導を受け、非難され、嘲笑された若者たちは、彼ら自身の立場から理解し、彼らの問題と心配事のために力を尽くし、彼らの疑問を一緒に考え、慰めと希望を与えることを見つけようとする、一人の人間を求めていたのだ。そしてボッシュ教授がそのような人間であったからこそ、彼の言葉はあれほどの反響を呼んだのだ」
ボッシュ神父の机の上には、いつもドイツの詩人ヘルダーリンの「愛の死するとき、神もまた去る」という言葉が書かれた紙が置かれてあった、と言われています。学生を生活難から救うために奔走し、寮生たちを愛し続けたボッシュ神父は、上智会館(*2)の中に待望の学生寮が発足した翌年の1958年11月28日に、心臓麻痺によって急逝しました。享年48歳でした。
ボッシュ神父を慕う人々によって建立された胸像は、長らく上智会館学生寮前に置かれ、現在は枝川寮の中庭で、学生たちを静かに見守り続けています。
*1 引用に際しては、原文の旧字体を新字体に変えました
*2 上智会館は2006年に解体され、現在跡地には6号館(ソフィアタワー)が建っています