幸福とウェルビーイングへの道を求めて。日本が直面する課題とは

総合人間科学部社会学科
教授
カローラ・ホメリヒ

日常生活のどのような要素が、幸福やウェルビーイングに寄与するのか。その解明に取り組む総合人間科学部のカローラ・ホメリヒ教授は、経済成長の飽くなき追求は必ずしも幸福の増大につながらないと指摘します。コロナ禍が日本の社会経済に与えた影響や、環境問題への日本の無関心など、最近の研究についても語っています。

私の研究の中心には、「何が人を幸せにするのか」という問いがあります。個人の社会的、主観的ウェルビーイングに着目し、総合的な幸福を形づくっている要素が何であるかを探っています。周囲の環境や住まい、社会構造や所属する集団など、日常生活のさまざまな側面を分析し、それらがウェルビーイングにどのような影響を与えるか解明するのです。大規模な調査に基づく定量的手法と、インタビューを行う定性的手法の両方を用いながら、研究を進めています。

経済成長は生活水準の保障に重要な役目を果たしますが、社会が一定の豊かさに達すると、そこからさらに経済が成長しても個人の幸福の増大にはつながりません。過去数十年間に経済的繁栄が一層進んだ先進国の例を見ても、人々のウェルビーイングがそれに伴って向上したわけではありません。それどころか、心理的ウェルビーイングが損なわれ、生活の質が低下しています。競争の激化に対応するため、企業は従業員に長時間労働を求め、パートタイムや派遣など不安定な雇用形態に頼り、結果として人々の生活への不安が高まっています。

物質的欲求の充足は個人のウェルビーイングと相関関係にはありません。鍵となるのは精神的欲求の充足です。家族や友人とのつながり、社会的支援から得られる安心感、社会における自尊心などが重なり合って、主観的ウェルビーイングを形成するのです。

日本も例外ではありません。世界をリードする経済大国となり、GDPの成長を優先してきましたが、ひたむきに追求するあまり労働人口に重圧がかかり、ウェルビーイングが損なわれてきました。また、現状の福祉制度では若年層を適切に支援できていないため、結婚や出産を先送りにしたり、諦めたりする傾向が広がるなど、家庭生活にも影響が出ています。

「社会人」という言葉には、経済成長を重視する日本の姿勢が表れていると思います。文字どおりの意味は「社会の一員」ですが、一般的には、フルタイム勤務で正規雇用され、社会に積極的に貢献しているとされる人を指します。非正規雇用や失業中の人、主婦や学生もみな社会の一員であるにもかかわらず、「社会人」というカテゴリーからは除外されています。つまり、職業的地位が社会的地位と結びつき、人々のウェルビーイングに大きく影響しているのです。

コロナ禍は労働市場の弱者層にどう影響したのか

最近の研究では、日本における新型コロナウイルス感染拡大の影響について考察するために、2種類のパネル調査を実施しました。それぞれ一年かけて特定の対象者に繰り返しインタビューを行い、所得、幸福感、メンタルヘルスへの影響を評価するものです。

なかでも、労働市場で弱い立場にある人ほど影響が顕著で、所得の減少に伴うメンタルヘルスの悪化や社会に対する信頼の低下が明らかになりました。コロナ収束後にいくらかの回復は見られたものの、所得もメンタルヘルスもコロナ前の水準には戻っておらず、個人間の格差は拡大していると言えます。

気候変動に関心の低い日本。環境意識を高めるには?

環境問題に対する日本の姿勢に着目した研究プロジェクトにも参加しています。日本とドイツの環境問題への態度を比較したデータを見ると、驚くべき違いが明らかになりました。例えば、ドイツでは20代から40代前半の人々の環境意識が高く、環境のために高い税金を支払ったり、生活水準を下げたりするなどの犠牲もいといません。

一方、日本の特に若い世代は、環境危機を差し迫った脅威とは見ていません。自分たちの便利な暮らしが気候変動に直接影響を及ぼしているという認識がないのです。あちこちで異常気象が発生しているにも関わらず、日本では社会運動が起きず、環境問題に対処する包括的な政策も環境政党もありません。社会的圧力がほとんど存在しないのです。

この無関心の背景には、自然災害に度々見舞われてきた日本の歴史があると考えられます。災害の経験で培われた、日本人の耐える力や立ち直る力が影響していると言えます。

環境問題への日本の姿勢を変えるのは、一筋縄ではいかないでしょう。サステナビリティ教育を学校の教育課程に組み込むことは一つの方法ですが、それだけでは大きな変化を起こすのに不十分です。また、トップダウン式の政府主導の政策だけでも、国民の十分なコミットメントは得られないでしょう。社会のあらゆるレベルで変化が必要です。研究を通じて、なぜ日本は環境への問題意識に欠けるのか、理解をさらに深め、この議論に有意義な見識をもたらしたいと願っています。

この一冊

『The Spirit Level: Why More Equal Societies Almost Always Do Better』
(Richard Wilkinson、Kate Pickett/著 Allen Lane)

この本では心身の健康問題を生む要因について、各国のデータを比較しています。健康問題の原因は個人にあるという従来の考え方に対し、社会状況が大きく影響していると論じる点が特徴的です。健康を左右するのは経済発展の度合いではなく、社会経済的な格差こそが貧困層と富裕層の両方に多大な影響を及ぼすそうです。

カローラ・ホメリヒ

  • 総合人間科学部社会学科
    教授

ドイツ・ケルン大学にて修士号(社会学専攻、英文学・日本学副専攻)、博士号(社会学)を取得。ドイツ日本研究所専任研究員(2008〜2015年)、北海道大学大学院准教授(2015〜2019年)を経て、2019年より上智大学に勤務。

社会学科

※この記事の内容は、2023年5月時点のものです

上智大学 Sophia University