令和の日本にイエスがいたら――。現代的な視点でキリスト教を読み解く

。神学部の原敬子准教授は宣教学を専門とする研究者です。信仰を広める役割を担う宣教師らへのインタビューなどを通じて、現代を生きる私たちにキリスト教は何をもたらしているのかを深く掘り下げています

イエス・キリストが生きた時代から約2000年がたっています。イエス自身は何も書き残さなかったのですが、弟子たちがその言葉を文字として残し、続く世代がそれを読み、その時代の言葉で再び書き記してきました。キリスト教はいつだって、その時代に合わせて読み解かれてきたのです。

つまり神学とは、キリスト教を信仰する人たちが書き残したテキストを学ぶ学問であるとともに、現代的な在り方を研究する学問といえるでしょう。

対話でしか伝わらない思い。インタビューから知る「現代の信仰」

私の専門である宣教学は、キリスト教のプロパガンダについて研究する学問です。その調査研究手法として、私は現代を生きるキリスト教の信仰者や宣教師、50人ほどにインタビューを行いました。インタビューは相手の話を聴くという行為ですが、その過程で聴くことそのものが非常に神学的な行為であると気づかされました。

一人の人の信仰の歩みを聴くことは、すでに存在するテキストを研究するのとは違い、個人の内面にある信仰やキリスト教への信念を知ることになります。そして質問する私もまた、現代を生きるカトリックの信仰者です。私が質問し、傾聴し、対話することによって、「現代の人は何を信じているのか」というテキスト化されていない領域に入っていくことができるのです。他者の物語を聴き、自分の物語を伝える。この共同作業のなかで膨らんだ物語をまた別の人に伝えていく……宗教とはこうやって広がっていくのだということもまた、実感させられました。

日本国憲法にも通底する、神のもとの平等という思想

宗教は時代によってとんでもなく変化します。価値観も変わります。私は中世に起きた十字軍の遠征を「ありえない暴挙だ!」と思いますし、16世紀の宗教改革の場にタイムスリップしたら、プロテスタントを立ち上げたルターと一緒に、ローマ・カトリック教会を批判したはずです。

神学は、古来の宗教観をそのまま信じて次に伝えることではありません。いまイエスが生きていたらどうするだろうと考え、現代を生きる人との仲立ちになることこそ、神学研究者の仕事なのです。

たとえば、憲法に示されている生存権や基本的人権の尊重の根拠になっているのが、キリスト教の「神のもとの平等」という考え方です。神に愛されるという意味で、人はすべて平等なのだと、イエスは2000年前に伝えています。それが、現代の法にも形を変えて取り入れられているのです。

法だけではありません。私たちの生活のなかにはジェンダー、生まれ育ち、仕事、国籍、人種など、さまざまな壁があります。このような社会の壁も、キリスト教のヒューマニズムによって突破できるはずです。それは信仰の有無とは無関係に、現代人にとっても心の土台になるのではないでしょうか。

2000年前、国も権力も敵味方も超えて、神のもとで平等だと唱えたイエス。彼のアナーキーともいえる魅力的な思想に、人々が出会うきっかけを作りたい。それが今の私の願いです。

この一冊

『チェルノブイリの祈り』
(スベトラーナ・アレクシエービッチ/著 松本妙子/訳 岩波書店)

1986年の原発事故に遭遇した人々に丹念な取材を重ねて書き上げたノーベル文学賞受賞作。うっかり電車の中で読んで号泣しました。語る人と聴く人の共同作業で生み出された本作は、私に「インタビューとは何か」を教えてくれました。

原 敬子

  • 神学部神学科
    准教授

広島大学教育学研究科修士課程修了。パリカトリック大学神学研究科修士課程修了。上智大学神学研究科博士後期課程修了。博士(神学)。2018年より現職。カトリック援助修道会会員。

神学科

※この記事の内容は、2022年9月時点のものです

上智大学 Sophia University