目に見えない微小な生き物の総称である微生物。私が研究しているのはこうした微生物のうち、土の中に棲んでいる「細胞性粘菌」です。普段は0.01ミリほどで、単細胞のアメーバの姿でバクテリアを食べています。ところがエサがなくなると集合して多細胞体になり、形を変えて生き延びる。多細胞生物への進化のプロセスを知る手がかりとなるこの生き物に、出会った時から、夢中になってしまいました。

研究者になってまもなく、国際共同研究となったゲノムプロジェクトで粘菌のゲノム解析をする機会を得て、細胞性粘菌がさまざまな化学物質を作っていることがわかりました。後の研究で私はその中のある物質に、農業害虫のネコブセンチュウという寄生生物を遠ざける性質があることを発見しました。

土壌の細胞性粘菌が害虫を遠ざける理由

ネコブセンチュウは多くの野菜や果物の根に寄生し、コブを作るやっかいな生き物です。コブのできた根は栄養吸収をさまたげられて生育不良となり、収穫量の減少や枯れ死の原因に。近年、ネコブセンチュウによる被害は世界中で起こり、その損失は毎年、世界の農業生産の約10％にのぼるとも言われているのです。

そこで細胞性粘菌がネコブセンチュウの防除に利用できるのではないかと、科学技術の振興を図る国立研究開発法人科学技術振興機構に研究の実施について提案しました。これが認められ、現在、次なるステップとして、企業との共同研究をすすめています。

こうした粘菌の働きに興味を持ったのは研究者としてイギリスに留学したときにおこなった実験がきっかけです。バクテリアを入れたシャーレの中に土の濾過液をたらすと、土壌にいた細胞性粘菌が増殖してきます。この細胞性粘菌とともに、もれなくセンチュウがついてくる。エサにするのは細菌やカビであり、粘菌が食べられることはありません。「2つの生物は仲がいいのか悪いのか？どんな関係なのかを知りたい」という疑問から、研究はスタートしました。

さらに、研究者の友人から「これ使ってみたら？」とネコブセンチュウをわけてもらい、粘菌と一緒にすると予想もしない結果になりました。土壌に棲むセンチュウには多くの種類がいます。このうち、自らエサをとらえて食べる自活性のセンチュウは粘菌に近づいて行くのですが、寄生生物であるネコブセンチュウはその逆。つまり、同じセンチュウでありながら、粘菌との関係性が違うのです。

なぜこのような違いが起こるのか。自活性のセンチュウは成長すると1ミリ大になり、近くにいる小さな粘菌の胞子を一緒に運んでしまうことがあります。ただし、両者の生息場所は同じ浅い土壌の中。このため、粘菌にとっては「運ばれても安全な場所」です。一方、植物の根まで深く潜るネコブセンチュウに連れていかれたら、その場所では生息できなくなるため、「だから、離れて！」という関係性を築いたのだろうと、私は解釈しました。

例をみない細胞性粘菌の実用化に向けて

研究では、「何が疑問なのか」を問い続けることを大事にしています。問いが明確になると、答えを出すために、「これもやりたい、あれもやりたい」とワクワクが止まらなくなり、それが私の原動力につながっています。

アオカビから作られた抗菌薬のペニシリンから、放線菌によるイベルメクチンまで、微生物の働きを利用した薬剤は多いですが、細胞性粘菌の実態がわかってきたのは最近のことで、実用化につながる研究はほとんどありません。

現在、ネコブセンチュウの防除に使われているのは主に化学農薬です。農作物の安全性、環境への配慮から化学農薬はできるだけ減らしたほうがいいのは明白です。この点、細胞性粘菌を使う方法はネコブセンチュウを「殺さず、なるべく来させないようにする」もので、生体にも環境にも優しい。SDGs（持続可能な開発目標）の観点からも、ぜひ実現したい夢です。

この一冊

『見えない巨人―微生物』
（別府 輝彦著／ベレ出版）

さまざまな種類の微生物の働きや生き方を、一冊にまとめた微生物学の入門書。微生物は見えないだけで、からだにも、環境にも、棲みつき共存している。そうした微生物のおかげで私たちが助けられていることが、よく理解できます。

※この記事の内容は、2022年5月時点のものです