インドシナ難民に愛の手を -For Others, With Others-

キリスト教ヒューマニズムを基盤に、 “For Others, With Others” (他者のために、他者とともに)の精神のもと、現代社会の課題に向き合う上智大学の活動とは…?今回は1979~80年における“インドシナ難民”をめぐる上智大学の動向に焦点を当ててゆきます。

1.インドシナ難民問題

1975年、ベトナム、ラオス、カンボジアのインドシナ3国は、戦争を経て社会主義体制に移行します。以後、めまぐるしい情勢変動にともなって生存の危機や不安を感じた人びとは、水路や陸路で国外へと逃れてゆきました(インドシナ難民)。この問題にはインドシナ3国各国の状況のみならず、避難道中の過酷さ、難民流入国の国内・対外事情、国際情勢などが交錯しており、難民を取り巻く状況は複雑かつ厳しいものでした。

混沌としたインドシナ情勢と難民問題は各種メディアで報じられ、各国、国際社会が対応を迫られるなか、上智大学内でもインドシナ難民を救援しようという声が高まってゆきました。

2.”インドシナ難民に愛の手を”―大学全体の活動として位置づけられた救援活動―

写真展の様子(1979年12月)*

1979年11月、学生や教員、学内サークルがインドシナ難民救援に向けて動くなか、28日の大学評議会では、大学主催による救援活動の推進が決定。12月1日には、委員会「インドシナ難民に愛の手を 上智大学」が発足し、上智大学は全学規模で国際的・人道的課題に取り組むこととなりました。

新宿の小田急百貨店前で街頭募金に立つピタウ学長(1979年12月20日)*

12月5日、学内では難民キャンプを訪れた上智大学アジア関係研究室長(当時)の安藤勇神父と、同行したフォト・ジャーナリストの前川誠氏による講演会、写真展が開催され、難民の実情が訴えられました。10日からは学内各事務所窓口での募金箱設置が始まり、正門や北門などで募金が呼びかけられました。17日から22日には新宿駅前での街頭募金活動を展開。ヨゼフ・ピタウ学長(第7代上智大学長、在任1975-1981)も街頭に立ち、学内外から延べ約400人が参加しました。

墨田区立錦糸中学校の生徒から募金と千羽鶴を受け取るピタウ学長。千羽鶴はその後サケオキャンプの子どもたちに贈られました(1979年12月21日)*

こうした活動はメディアで報じられ、活動に賛同した学外団体や個人からも募金やメッセージが多数寄せられてゆきました。

3.ともに生き、経験した現地ボランティア活動

難民キャンプを訪れたピタウ学長を囲む子どもたち*

1979年12月27日、ピタウ学長は募金700万円をタイのカトリック司教団に手交するべく日本を出発。ピタウ学長と、学長に同行した哲学科の渡部清助教授(当時)は、募金の手交にあわせてカンボジア国境近くのカオイダン、サケオのカンボジア難民キャンプを訪問しました。

サケオキャンプには、現地でボランティア活動にあたっているカトリック緊急難民救済事務所(COERR)が運営するチルドレン・センターがあり、家族と別れ別れになったカンボジアの子どもたち約1200人が生活していました。ピタウ学長は―写真で数多く見てきた、悲しく元気のない様子の子どもたちとは違う―活気にあふれ、一緒に遊ぼうとせがんでくる笑顔の子どもたちを見て(※1)、ボランティア、支援がもたらす子どもたちの笑顔に感銘を受けるとともに、子どもたちと直にふれあうことの重要性を実感します。

インドシナ難民の状況や募金・ボランティア活動の近況を伝える『上智大学通信』*

「ここなら、上智の学生たちも、子供たちの兄さんや姉さんとして、いっしょに遊び、衣服の世話、洗濯、あるいはシャワーを浴びる手伝いなど、十分役に立つ仕事ができるのではないかと思った。学生たちは、こうして何かを与えると同時に、この愛と無私の奉仕の雰囲気の中で、多くのものを与えられるにちがいない」――(※2)。学生ボランティアが現地で活動する可能性を模索していたピタウ学長は、COERR側との間でサケオキャンプに継続的にボランティアを派遣する方向性を固めました。

1980年1月11日、学内ではピタウ学長と渡部助教授による現地報告会と、募金活動と並行した現地ボランティア募集の説明会が開かれました。現地ボランティアには、上智大生や教職員ばかりでなく学生父母、他大学の学生らも加わり、日程別にチーム編成されて出発前にクメール語の授業を受講。2月3日には第一陣(10名)が現地へと出発しました。

班構成や活動内容、スケジュールなどが記された当時のボランティア資料*

上智チームは2週間交代で派遣され、第1陣から第5陣(3月30日出発)までは、COERRが運営するサケオのチルドレン・センターで、4月13日出発の第6陣以降は、2月にバンコクで設立された日本奉仕センター(現・日本国際ボランティアセンター)のもと、トランジット・センター(第三国へ出国待ちの難民の一時滞在施設)などで活動しました。参加者は現地で子どもたちとともに過ごし、勉強を教えたり、レクリエーション指導、生活面のサポートなどを行なったりして親交を深めるなかで、難民の苦難の記憶や戦争の悲惨さに思いを巡らせながら、多くの経験や気づきを得ることとなります。上智チームのボランティアは、10月に第17陣をもって派遣終了となるまで、8か月間で延べ152人を数えました。

他者のために声を上げ、“愛の手”を差し伸べ、寄り添ったインドシナ難民救援活動。その活動は、まさしく現在の上智大学の教育精神“For Others, With Others”(他者のために、他者とともに)に適うものだったのです。

(※1)ヨゼフ・ピタウ『カンボジア難民キャンプをたずねて』1980年、P.14。

(※2)同上、P.15。

*印の写真、資料はソフィア・アーカイブズ所蔵

上智大学 Sophia University