「多様な文化を持つ子たちが生きやすい社会の構築、大きな意味での社会福祉を実践していきたいですね」と語る総合人間科学部社会福祉学科4年の大山唯さん。ベトナムにルーツを持つ彼が必要と感じている社会福祉の姿とは?
自分の専門分野から飛び出して、さまざまな切り口で福祉を学ぶ
私が社会福祉学科を選んだきっかけは、高校生の頃に児童養護施設を訪問したことにあります。社会的弱者と呼ばれる人たちに初めて出会い、その人たちが今の日本の社会で生きづらさを感じていることに気付きましたし、このような状況が社会に伝わっていないような印象を受けたので、それを変えていきたいと思いました。
社会福祉を学べる大学は日本国内に数多くありますが、その中でも上智大学は、宗教的な価値観が私自身と合っていて、よりグローバルな視点で学問を進められる大学でした。他学科の授業が自分の興味関心に合わせて履修できるという点も、今後、子どもたちの支援を行うために教育を学びたいと思っていた私にとはピッタリでしたね。
入学してからはリベラルな考え方を持つ学生の多さに驚きましたし、イスラム教徒の方に配慮したハラル食堂の存在にも衝撃を受けました。私のルーツやマイノリティとしての生き方も、あまり他人に話すことがないようなことも、上智大学の学生や先生方は、すんなりと受け入れてくれましたね。また、良くも悪くも私という人間そのものや私の人柄を見て、1人の人間として向き合ってくれている。表面ではなく深い部分で関わってくれているこの環境は、とても居心地がよいと感じています。
総合人間科学部の1年生が全員履修する「総合人間科学入門」では、総合人間科学部の各学科の専門について横断的に学びました。教育学や心理学の切り口で人間を見ても、どこかで福祉と繋がっていることが分かり、とても面白かったです。他学部の授業では哲学部の「生理と倫理」を履修しました。将来、人と関わる仕事をすれば、終末期や生命の危機に瀕した方と接することもあるはずなので、いまのうちに自分の価値観や倫理観を改めて認識しておきたいと思ったんです。
このような授業の中で専門分野の異なる人と意見を交わすと、自分でも思いもよらなかったポイントが見えてきて、より広い視点から物事が見られるようになりましたね。学生の間で考え方の違いが出たときは、それを排除したり排他したりするのではなく、「そういう考え方もあるよね」「こういう考え方もできるよね」という話の進め方をすると、どんどん新しい意見が出てきて、視野の拡大に繋がることを体感できたのも、今後のためになる経験でした。
既存のイメージにとらわれず、今後の社会に必要な福祉を考える
入学するまで、社会福祉学科は社会的弱者に対してどのような支援ができるのかを学ぶ学問だと思っていました。私にも「自分が助けたい」「自分が支援したい」という気持ちがありましたから。でも、この4年間の学びを通して、社会福祉は“当事者を含めた”包括的な社会の構築を目指す学問であるということに気付きました。つまり、上の者が下の者を助けるという社会構造ではなく、みんながフラットでリベラルな状態、平等な精神を持って助け合う相互扶助の関係にある社会構造を目指すというところでは、入学前に持っていた社会福祉のイメージがいい意味で覆されたと思っています。
現在は、卒業論文を進める中で、キリスト教的な社会福祉を学んでいます。これは、国からもらえる恩恵とは別に自らが主体となって動く慈善活動タイプの福祉なのですが、日本でも今後ますます個の存在が尊重されるようになると思うので、このような福祉のかたちがあってもいいのでは、むしろ求められてくるのでは、と考えています。
この考え方のもとになった「当事者福祉論」の授業は、特に印象に残っていますね。従来の社会福祉は、援助を行う者と、それを受ける者に分かれた一方的な構造をしていますが、この授業では、当事者自身が参加する、当事者が当事者を支援する形の福祉を学びます。
インターネットの普及によって、これまで聞こえてこなかった当事者の声が明らかになる中で、福祉の恩恵を受ける者は社会的弱者であるというイメージが変わりつつありますが、当事者福祉論は、その変化を促す学問。しかも、上智大学の教授が第一人者となって発展・展開させている分野なので、とても面白いですね。
今までにない特性の子どもたちが生きやすい社会と福祉を構築したい
高校時代を含め学生生活の中で特に力を入れてきたのは、在日ベトナム人2世と呼ばれる子どもたちの居場所づくり。そこで出会った子どもたちや大人たちと関わる中で実感したのは、私たちはみな人に助けられながら生きているということです。
私自身、ベトナムから日本に来た両親のもとに生まれたベトナム2世で、自分のアイデンティティが文化的に十分確立していないと感じていました。完璧な日本人ではないけれど、日本で育っているから完璧なベトナム人でもない。周囲からは、今までにはない文化を持っている人という風に見られるし、自分もそう自覚している。これからの日本をはじめ世界では、そういう特性を持つ子どもたちが増えてくると思うので、その子たちが生きやすい社会の構築、大きな意味での社会福祉の実践を行っていきたいですね。そのためにも、大学2年生の夏休みを利用してベトナムへ行ったのですが、人脈を辿りながら現地のキリスト教と社会福祉の在り方を学ぶ中で、歴史的背景ゆえの結束や仲間意識の強さを人々の生活の中に見い出せたのは、とてもいい経験でした。
何か1つの職業を通して生涯を終えるというよりも、今までの学びや自分のアイデンティティが活かせる職業を長い人生の中で見つけてたいと思っています。自分には、どのような場面が一番適しているのか。それを探す今後の過程が楽しみですね。
※この記事の内容は、2021年11月時点のものです