自分の興味関心を突き詰めていった先には、思わぬ発見が待っている。

原 光児さん
文学部国文学科3年

「いつまでも挑戦することを忘れない人間でありたいと思っています」と語る文学部国文学科3年の原光児さん。日本語という言語に対する自分の理解を、文字と音声という2つの角度から深める中で、彼が国文学に見い出した予想外の面白さと可能性とは?

国文学の面白さは、自分の想像をはるかに超えていた

私が上智の国文学科を選んだのは、シンプルに“言葉”に興味を持っていたからです。言葉は、その人の出身地や経歴を多かれ少なかれ表すもの。それが日本人であれば、その人の日本人らしさに日本語が関係していることになります。グローバル化が進む今だからこそ、自国の文学を通して日本語という言葉に対する理解を深めたい。そのためには国文学科が相応しいと思いました。

国文学には、小説を読み込んで登場人物の気持ちを考える学問というイメージがありました。私自身も入学前は、趣味の範囲で本を読んでいましたから。でも、実際の授業では、時代背景や政治の動向を踏まえた上で、文学作品の価値や意義を読み解いていく。このようなアプローチを取って作品と向き合うと、その作品の見え方が180度変わることに驚きました。

1つの事象に着目するだけでなく、その事象全体の中でどのように位置づけられているのか捉えることも必要ですし、他の事象との関係性を考慮しなければなりません。このような学びを通じて、俯瞰的な視点も身につけることができたと思います。

また、このようにテキストを読み込んでいくことを繰り返しているうちに、自分の感性を使わないと見えないものや作品に隠されたロジックが見えてくるようになりました。言うなれば自分なりの発見です。一見穏やかな作品の中に当時の政治権力に対するアンチテーゼが含まれていることに気づいたり、すでに広く研究されているようなメジャーな作品の中に専門家が指摘していないようなことを見つけたりするのは実に面白いですね。

国文学と科学を融合させて、音声に秘められた可能性を探る日々

国文学科の授業の中で特に印象に残っているのは、入学してすぐに履修した「国語学概説」です。国文学の主役は文字と決めつけていましたが、初回のテーマは音の物理的な特徴でした。聞いたこともない専門用語が飛び交って驚きましたが、上智の国文学科では文学という言葉からは連想できないようなことまで学べるということを知り、興奮したのを覚えています。

そこから音に興味が湧いて、現在は日本語音声学を専門に学んでいます。実際の音声を録音し、その音声の波形を特殊なソフトで分析するという研究です。平安時代から室町時代の文献を読みながら、現代とは違う発音の仕方やアクセントを推測したり、1900年代に録音された音声を分析して現代の音声との共通点を探したりと、科学的な要素があって、とても面白いですね。

音声を出すというのは人間の基本的な能力の1つですが、通常は目に見えません。でも、それを可視化することで、人間が無意識のうちに特徴的な音声現象を発しているといった興味深い発見が得られます。スマートフォンなどに搭載されている音声認識機能の根底に音声学があることを考えると、この研究は現代社会のニーズに応えるものですし、日本のIT技術やDXを加速させる可能性も秘めているので、やりがいを感じていますね。

言葉の本質を突き詰める中で、自分を的確に表現する力が身につく

国文学科での学びは、コミュニケーション能力の向上にも繋がっていると思います。国文学科の本質は言葉を突き詰めていくところにあると思っているので、周囲の人や自分自身が使う言葉に自然と敏感になる。その過程で、正しい日本語で自分の意思を伝える意識や能力が培われてきました。私は塾で講師のアルバイトをしていますが、個性や能力が異なる生徒たちにわかりやすく勉強を教える上でも、保護者の方たちとの信頼関係を築いていく上でも、自分の考えや想いを的確に表現するスキルの重要性をひしひしと感じています。

私のとっておきの一冊は、平野啓一郎の「私とは何か『個人』から『分人』へ」です。この本に人間は、いろいろな人柄を使い分けて生きている一貫性のない自由な生き物とあります。読むたびに、もっと自由に生きていこうという気持ちになって、世間の縛りを逃れたような感覚が得られるんです。そう考えると、とにかく自由で縛りがない上智の国文学科は、自分の性に合っているのかもしれません。ここは自分がやりたいと思ったことは何でもできる環境です。ゼミや卒論で文学作品をテーマにする人もいれば、プログラミングの技術を用いてテキストを研究する人もいますからね。

現在は就活中で、キャリアセンターや先生方に相談しながら自分の可能性を探っています。でも、どのような進路を選ぶにせよ、いつまでも挑戦することを忘れない人間でありたい。これまでも、興味があることは、とにかくまずやってみようという精神で生きてきました。何より自分に飽きるようなことだけはしたくない。だから年齢を重ねても、前向きなチャレンジ精神だけは持ち続けていたいですね。

※この記事の内容は、2021年11月時点のものです

上智大学 Sophia University