EPISODE Ⅳ
「鷲」のデザイン統一
下に掲げているのは、1961年から63年にかけて作成された入学試験要項、学校案内類です。これらを一目みてわかるように、様々な「鷲」のデザインが使用されていました。



大学のいわば「顔」となる校章のデザインが乱立している状況が好ましくないことは言うまでもありません。そこで上智学院は、創立75周年(1988年)の記念事業として校章のデザインの改定を決議します。「校章改正審議結果」(下左)は、1983年11月30日開催の理事会決議の通知書です。
校章のデザインは、クリエイティブ・プロデューサーとして様々なデザイン業務を手がけていた鈴木博文氏(1974年外国語学部英語学科卒業)によるものでした。彼にデザイン制作を依頼したのは、鈴木氏が在学していたときの学生寮の舎監長で当時総務担当理事をつとめていた宗正孝神父(名誉教授)でした。
宗神父と学院は、鈴木氏に様々なデザインの「鷲」が使用されている現状を憂い、「大学として統一したデザインが欲しい」「全く違うデザインを起こしてほしい。しかし、デザインを変更したことを気づかれないようにして欲しい」と依頼したといいます。
「違うデザイン」を求めながら、「変更したことを気づかれないようにして欲しい」というのは一見矛盾した依頼です。鈴木氏は後者について、「卒業生など年長の世代の人たちへの配慮があったのでは」と当時を振り返っています。
こうして完成したのが「校章原画」(下右)です。このデザインは、1984年から2013年まで使用されました。
2013年には、創立100周年という節目の年を迎えるにあたり、上智学院はこれまで使用してきた校章やスクールカラーなどを整備し、新たに「ビジュアル・アイデンティティガイドライン」を定めました。校章やスクールカラーは、本学創立以来の「志」を象徴するものです。次の100年に向けて「志」を一貫性と継続性をもった表現で伝えていきます。
ガイドラインの詳細については、上智大学ビジュアル・アイデンティティをご参照ください。

