EPISODE Ⅰ
「鷲」誕生秘話

角帽をかぶる本科生(年代未詳)角帽をかぶる本科生(年代未詳)(ソフィア・アーカイブズブックレット4『イエズス会士たちの東京での日々 1911-1917~フリッツ・ヒリヒ師のアルバムから~』(ソフィア・アーカイブズ、2024年)より)

 本学の校章は羽を広げた「鷲」ですが、「鷲」のシンボルは1913年の創立当初から使用されていました。「鷲」を選んだ理由について『上智大学五十年史』には、「太陽を目指しまっしぐらに飛ぶ勇猛果敢な鳥であるからである」と記されています。

 また、当時、校章には校名をあしらった大学が多くみられましたが、本学の場合、校章に大学名の「上智」という漢字を入れることに反対意見がありました。それに加えて、当時の史料によれば、アルファベット表記の「Jochi」は「Joshi」(女子大)と間違えられると考えられていました。そのような背景から、鷲の胸には大学名ではなく「LV」というアルファベットが記されています。

 これは、はじめにでも述べた通り、「真理の光」を意味するラテン語の”Lux Veritatis”という言葉の頭文字です。校章の「鷲」には、上智の学生は「真理の光」を目指してひたむきに進み、未来を拓いて欲しいという大学の願いが込められているのです。

 LVを胸に抱いた徽章は、帽子の「帽章」として用いられ、本科生は角帽に、予科生は丸帽にこれをつけることになりました。この決定をうけて、初代学長ヘルマン・ホフマン神父は、ヴロディミール・レドホフスキ イエズス会総長宛に徽章のデザインについて報告しました。ところが、総長からデザイン変更を推奨されることになります。

ホフマン学長 資料番号:ネガ1-0111ヘルマン・ホフマン初代学長
 ふつうは徽章には学校名がついています。わが校の場合には上智の漢字はあまり適当ではありません。すくなくとも学生や日本人教員の意見はそのようです。 それでとうとう『鷲』ではということになったのです。我々は今、総会長の決断を待っています。ただお願いしたいのは、他の徽章を採用なさるときはやや幅を持たせていただきたいのです。そうすれば、それが万が一にも採用困難な場合には、鷲のマークのついている学生服の釦をすべて取り換える必要がないからです(1915年11月16日、イエズス会総長宛書簡より抜粋。下線は引用者による)

これに対してイエズス会総長は以下のように回答しています。

 校章が鷲だということを聞きました。大学の紋章がある特定国の紋章によく似ていることは疑いがありません。・・・・・この鳥はどうしても変えねばなりません。しかしあまり大騒ぎにならないように校名と一緒に変えるのが最も良いでしょう。変更の方法や時期をあなたの賢明な判断に任せます(1916年1月2日、ヘルマン・ホフマン初代学長宛書簡より抜粋。下線は引用者による)

 イエズス会総長は「特定国の紋章によく似ている」という理由で、校章の変更を求めたのです。ここでいう「特定国」とは、ドイツ帝国(当時)を指していたと考えられます。ドイツは前身のプロイセン王国以来、鷲の紋章を国旗にあしらっていました。カトリック教会とドイツは、1870年代に「鉄血宰相」といわれたビスマルクが進めた「文化闘争」(※)をめぐり緊張関係にありました。総長はこの点を憂慮したと考えられます。しかし、第一次世界大戦勃発によりこの要求はうやむやにされ、「鷲」の校章と上智の名が残ることになるのです。

※文化闘争:ビスマルクが国内のカトリック勢力を抑えるために行ったローマ・カトリック教会に対する諸政策。