第1章
創設と開学
-1990年代までの上智短期大学-

本章では、開学から1990年代までの上智短大について設立までの経緯と理念を振り返るとともに、上智短大の特色のひとつであるコミュニティカレッジや家庭教師ボランティアといった地域社会との連携事業についても紹介していきます。

第1節 設立までの経緯と上智短期大学の教育理念

(1)秦野キャンパス設置と上智短期大学開学

上智短大のあゆみの原点は、1968年5月の秦野キャンパス開設にさかのぼります。上智大学は1957年に女子学生の受け入れを開始していましたが、国際化の進展に伴い、多くの女子受験生が上智大学を志願するようになり、特に英語学科や英文学科への志願者が増加していました。しかし、入学定員に限りがあり、すべての志願者の期待に応えることはできませんでした。当時のヨゼフ・ピタウ理事長は、「上智大学を志す優秀な志願者を可能な限り何らかの形で受け入れ、育てたい」と考えていました。

資料番号:『上智の100年』106頁
造成前の秦野キャンパス(1967年)

この思いは、理想的な女子教育の実現を目指していた聖マリア修道女会の理念とも一致するものでした。こうして女子学生の学びの場を拡充するための高等教育機関の設置が理事会で検討され、1972年2月、秦野キャンパスに短期大学を設置することが決定されました。学校法人上智学院はこれを上智大学の姉妹校と位置づけ、キリスト教ヒューマニズムと国際性を重視した英語教育を通じて、上智学院の目指す教育のさらなる発展に寄与するものとしました。

この決定を受け、同年9月には文部省(当時)へ設置認可申請書を提出し、翌1973年1月に認可が下りました。続く2月には第1回入学試験が実施され、開学に向けた準備が本格化しました。

その間、秦野キャンパスではセミナーハウス、校舎、ソフィアホールの建設が着々と進められていました。そして1973年3月、ドイツ・ケルン大司教区のヨゼフ・ヘフナー枢機卿を迎え、ヴューステンベルク駐日ヴァチカン大使、地主の方々、建築関係者、教職員など約400名が出席し、竣工式が盛大に執り行われました。

資料番号:上智短期大学-1-1973-1
キャンパス完成予想図(『〈新設〉上智短期大学の案内 SOPHIA JUNIOR COLLEGE 1973』より)
資料番号:ネガ2-4803X-000007
竣工祝賀式で祝辞を述べるケルン大司教区のヨゼフ・ヘフナー枢機卿(1973年3月27日)
資料番号:『上智の100年』180頁
ジェラルド・バリー初代学長

こうして英語科単科の女子短期大学が約26万㎡の広大な敷地に開学し、1973年4月に記念すべき第1期生299名を迎え入れました。専任教員は上智大学からの移籍者をはじめ、聖マリア修道女会のシスター、イエズス会員など、外国人教員を含む国際色豊かな編成となりました。初代学長となったジェラルド・バリー神父(上智大学教授)は、入学者向けの学校案内のなかで、上智短大の教育理念と目標について次のように述べています。

上智短期大学の目標

上智短期大学は、次の三つの目標を掲げております。

第一はキリスト教的ヒューマニズムです。上智短期大学は専門分野についての徹底した教育ばかりでなく、カトリシズムの精神を基底に人間形成をめざし、豊かな教養にあふれた円満な人格をつちかうことを、第一の目標としています。

第二は国際性です。姉妹校である上智大学が約60年前に創立されましたが、創立当初より多数の外国人教授を擁し、現在も20数か国から130名にのぼる教授が集まっており、この間東西文化交流のかけ橋としての役割を果たしてきました。上智短期大学も、多様で国際色豊かな教授陣をそろえております。学生はこの雰囲気の中で、おのずから広い視野と国際感覚を身につけることができるものと思います。

第三は徹底した語学教育です。上智短期大学では、徹底した集中訓練方式によって英語または他の外国語を早期に「話し」「書き」「読める」ようにすることを目標にしています。いわばこの三つを調和的に身につけさせる総合訓練を行なうわけです。上智短期大学が多くの外国人教員を擁し、少数教育方針をとっているのは、このためなのです。(1973年「新設 上智短期大学の案内」)

上智短大提供
開学時の秦野キャンパス(1973年)

このように上智短大は、「カトリシズムの精神を基底に人間形成をめざし、豊かな教養にあふれた円満な人格をつちかうこと」「広い視野と国際感覚を身につけること」「英語または他の外国語を「話し」「書き」「読める」ようにすること」を目標に掲げていました。こうして、丹沢を望むことのできる自然豊かな秦野キャンパスで、女子学生向けの新たな教育が幕を開けることとなったのです。

(2)特色ある活動

資料番号:『上智の100年』112頁
大山登山(1973年)

開学当初は、学生がこの新設の上智短大を「アルマ・マーテル(我が母校)」と感じられるよう、大山登山、スポーツデイ、十月祭(かんなさい、後のソフィア・ジュニア祭)、学長杯スピーチコンテストなど、様々な行事が企画されました。教職員と学生が一体となって上智の精神を共有しながら、上智短大の校風と伝統を築き上げていきました。大山登山は、開学からわずか1ヶ月後の1973年5月に、教職員・学生の全員参加で実施されました。

上智短大提供
「ベカ」を着用した学生(1975年)

また、1975年3月の第1回卒業式では、卒業生全員が「ベカ」(スペイン語で学位授与の際につける肩章)を着用しました。これも同じ学び舎で勉学を共にした証でした。

1978年10月には、十月祭が始まりました。以後、コロナ禍でも動画公開によるオンライン形式で開催するなど、2024 年まで47回にわたり途切れることなく開催され、上智短大を代表する行事の一つとして親しまれました。

さて、ジェラルド・バリー初代学長が1973年の「新設 上智短期大学の案内」でも述べたように、上智短大は徹底した英語教育を行うとともに、幅広い教養と英語圏の文化や歴史といった専門教育も重視していました。そのため、開学当初から国際色豊かな教員による講義が行われていました。

資料番号:『上智の100年』111頁
LL教室における講義(1975年)

こうした教育は、外国文化への理解を深めるとともに、国際的な視野を備えた人材の育成に大きく貢献しました。その結果、卒業生は商社、メーカー、金融機関など幅広い業界に進み、多方面で活躍することになったのです。

第2節 地域社会とともに

正課カリキュラムに加えて、上智短大の特色として見逃すことができないのが、地域社会との強いつながりです。代表的なものとして公開講座であるコミュニティ・カレッジと地域での教育支援を目的としたボランティア活動が挙げられます。これらはいずれも1980年代に開始され、地域社会とのつながりを深めるとともに、後者は学生が他者への奉仕の精神を実践的に学ぶ機会となりました。

(1)コミュニティ・カレッジ

上智短大提供
公開講座閉講式(1982年)

「公開講座」は、上智短大創設から10年目を迎えた1982年5月から開始されました。神奈川県教育委員会と秦野市ほか近隣市町村の教育委員会の後援を受けて行われたもので、上智短大の専任教員が講師を務め、地域住民から広く受講者を募りました。

この講座は1991年10月に「ソフィア・コミュニティ・カレッジ・イン・ハダノ」と改称され、上智短大が単独で運営を始めました。短大の教育・研究成果を活かした講座を開講し、43年にわたり、多くの地域住民、卒業生などに生涯学習、リカレント教育の機会を提供しました。

(2)家庭教師ボランティア

上智短大提供
家庭教師ボランティアを支えたシスターコルテス(右)とシスターマリア(左)

上智短大の教育目標である「キリスト教ヒューマニズム」「国際性」「言語教育」を地域で草の根的に実践する活動が、1988年3月から開始された家庭教師ボランティアです。

この活動の背景には、1987年に秦野市で発生した痛ましい事件がありました。市内に在住していたカンボジア国籍の住民が、日本社会に適応できずに家族を殺害したという事件です。この出来事を契機に、秦野市でインドシナ難民や外国籍市民を支援するためのNGO(非政府組織)が発足し、市の委託をうけて日本語教室を開設しました。そこに上智短大生が参加したことをきっかけに、シスターでもあった教員の協力を得ながら上智短大でも課外活動団体として「家庭教師ボランティア」が発足することになりました。

活動当初は15名ほどの学生が参加し、3世帯の児童を支援していました。その後、1990年代半ばには、学生ボランティアの数は50名程度まで増加し、支援対象の世帯も拡大することになります。