2006年度上智大学シラバス

2006/03/06更新
◆エコロジー経済学 - (前)
鷲田 豊明
○講義概要
 環境経済学が経済システムに中心軸をおいて環境と経済の調和を考察しているとするならば、エコロジー経済学は、人間の社会経済システムも生態系の一つの特殊な存在様式としてとらえて、環境と経済の調和を考察するものである。エコロジー経済学は、上記の視点を共有しているものの、必ずしも統合されていない多様な方法論と議論の流れが生まれている。講義では生態系に対する基礎的な理解も含めエコロジー経済学の全体像を明らかにしたい。
 講義終了後にレポートを提出していただく予定だが、代わりに、筆記試験を行う可能性もある。
○評価方法
出席状況(30%)、授業参画(30%)、レポート(40%)
○参考書
「エコロジーの経済理論」(日本評論社、鷲田豊明著、1994年刊)
○他学部・他学科生の受講

○ホームページURL
http://eco.genv.sophia.ac.jp
○授業計画
1討論:なぜ環境を守らなければならないのか?
 エコロジーは、地球上に存在する生物種、その存在を支えている大気や水の循環などの物理的環境の相互依存関係に関する体系化された知識、あるいはそうした知識を形成しようという人間の営み、そして、それによって人間という種の存在のあり方、あるいはその社会を理解しようとする思である。
2ディープ・エコロジーと自由主義経済
エコロジー思想と今日の自由主義経済との調和の可能性を、構成理念のレベルで考察する。環境破壊に対する自由主義の責任。F.A.ハイエクの自由主義論。A.スミスの「共感(sympathy)」概念。ディープ・エコロジーと自由主義の接合。環境の主体化と環境自由主義。
3生態系の構造とエネルギー流
 生態系は、そこを通過するエネルギー流によって特徴付けられる。生態系の要素がどのようにエネルギーを転換させているのかを理論的に明らかにする。また、実際の森林生態系をもとに、その生物相とエネルギー流の関係を測定した事例を見る。また、同時に、エネルギーとともに栄養塩動態にも注目する。
4ミニ地球としてのミクロコズム
 地球的時間は、人間にとって時間としてとらえられない長さであるために、人々の環境問題に関わる認識を鈍化させる可能性がある。実験的モデルとして栗原康(元東北大学理学部教授)によって分析されたミクロコズムは、この認識の壁を克服する上で重要な役割を果たす。
5生態系におけるエネルギー流と秩序形成に関しての学説
 A.J.ロトカとKayとshneiderの論文を読む。(2回の講義)
 環境問題は、生態系秩序の自己組織化が人間の活動によって阻害されるという側面を持っている。生態系の美しいまでの秩序は、誰が指揮するというのでもなく実現している。古来この原理については多くの学説が出された。
6線形モデルによる生態系分析(2回の講義)
 経済と生態系は能動的な主体の相互依存関係によって構成されたシステムという点で、強い類似性をもっている。生態系を経済と同様の手法によってモデル化することは、環境と経済の調和を目指すうえでも重要な意味を持っている。生態系を線形モデルによって描く試みが行われてきた。
7生態系の剰余から農業剰余へ
 もともと人類は生態系の一員として、生態系がもたらす自然の生産物を獲得することによって生存を持続させてきた。それは人間以外の生態系がもたらす剰余と考えられる。農業はこの剰余を目的意識的に生産する仕組みとして発明された。このような変化を一つの線型モデルとして考えることができる。
8近世農業社会における剰余と編成原理
日本において農業社会のもっとも成熟した時期は近世社会である。近世社会において、農業社会の原理がどのように貫かれていたのか、それがまたどのように鉱業社会への準備をもたらしたのか を考察する。
9工業社会における利潤と経済成長(2回講義)
 穀物で計った剰余は、工業社会において利潤に形を変えた。利潤はまた成長の源泉でもあり、利潤追求の近代工業社会は鋭い環境問題を発生させるに至った。
 利潤と経済成長の関係を簡単な線形経済モデルで示す。
10工業社会と欲求の無制限性
 工業社会は人々の余気球を爆発させた。欲望の膨張とそれを支えるための経済成長に限界はあるのか、自発的抑制はあり得るのかを考察する。
11極相社会に向かう日本
 環境制約のもとで、日本もまた成熟した社会に向かっている。それは生態系遷移の最終局面である極相と類似させることができる。中心への凝集力の喪失、集団への依存性と個性の矛盾との激化、多様性と一様性の対立など日本型極相社会の特質を考察する。

  

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