1 | 社会システムとは何か 現代における社会は、個々人から自立ないしは対立した実態として存在している。言い換えれば、個々人の目的とは自立したマクロ的な目的で動いている。このような社会のあり方こそ社会システムである。それはまた人と人とが直接関係しているのではなく、自然の物質循環に介入し、モノによって媒介され秩序付けられ発生した。 |
2 | 社会システム形成の自然要因 社会システムは自然に対する人間の関わり方の発展の中で発生した。自然に対して受容的な状態から、能動的な状態への変化、さらに物質循環、特に水の循環に対する意識的な介入によって社会システムは発生した。 |
3 | システム化による社会の変容 システム化されない社会は、人と人とが直接につながっていた人格的ネットワーク社会といえるものである。システム化することによって、個別の主体がミクロ的な目的を持って関係し合うネットワークは、ものによって媒介されるものに変わり、マクロ目的に基づく階層的な構造と二重化した。 |
4 | 社会選択論I 環境に対してどのような対応をすることが望ましいかを考える場合、環境に対する態度と共に経済的な要素に対する態度も含めた社会的厚生関数の存在可能性を考える必要がある。民主主義は、この社会的厚生関数を多数の個人の選好から形成する手続きの一種である。このような手続きの問題性が環境問題の場合どのようにあらわれるかを考察する。 |
5 | 社会選択論II このような、社会的厚生関数の更生手続きの困難性を示したのがアローの一般不可能性定理である。この定理の内容、および証明手続きを示すことによって理解を深める。また、A.センによって示された自由主義を含む不可能性定理についても検討する。 |
6 | 環境問題とゲーム論I 多数の経済主体が、自己利益を追求している状況がどのような結果に導かれるかを示す理論としてゲーム理論がある。ゲームの一種である「囚人のジレンマ」においては、適切な協力ができない状況では、結果として望ましくない選択になってしまう状況が描かれていて、それは、環境問題でしばしば発生する状況でもある。 |
7 | 環境問題とゲーム論II ゲーム理論で示されているナッシュ均衡理論などの幾つかの均衡の考え方を示しながら、環境問題を考える上でどのような視点をわれわれに提供しうるのかを検討する。 |
8 | 環境制約と持続的停滞 21世紀の近代工業社会は、環境制約を適切に考慮するならば、経済停滞あるいは神経質なまでに停滞に煩わされることにならざるをえない。豊かになった社会の中で貧困は地球規模で減少するだろうが、先進国では社会の活力の低下がもたらされる。変わらない個人の活力を社会の活力に結びつける新しい社会・政治制度が求められる。 |
9 | 環境保全型社会の制度設計と民主主義 地球環境保全型の新しい社会制度の設計が緊要な課題となっている。そのために、ホッブス・ルソー型の共同意思という擬制を用いた民主主義論、それに対峙される形で定式化された経済学者シュムペーターによる支持獲得の競争としてとらえた民主主義論などの系譜をたどる。 |
10 | 日本における社会システムの起源:縄文編 1万年続いた日本型社会である、縄文時代は自然の余剰を存在基盤とした人格的ネットワーク社会だった。考古学によれば、この社会は小さな単位集団の直接的なネットワークとして成立していた。また、アイヌの民俗学的調査からの類推で、その集団は社会の全体性が潜在化していた。 |
11 | 日本における社会システムの起源:弥生編 人格的ネットワーク社会が社会システムに転換した契機は、灌漑水稲農耕の導入だった。日本の国家権力の原型が大和盆地周辺で生じたのには、大和川の特殊な流れのありさまが影響している。そこでは中央集権的ソフトウエアが開発されたのに対して、淀川流域では豪族の組織化にとどまった。 |
12 | 環境問題と還元論 環境の実態である生態系は、本来全体的(Holistic)なものであり、これに対して近代工業社会を特徴付ける科学と技術は還元論(Reductionism)的な思考の上に打ち立てられている。そのために、自然と人間とのかかわりにおいて、環境それ自身と破壊の意味を適切に理解できずに、問題の深刻化を招いてしまった。 |
13 | 三浦梅園の全体論と人間中心主義の克服 近世という社会制約の中で、独自の自然哲学を打ち立てた孤高の学者として三浦梅園がいる。日本型のグレシャムの法則の提唱などもあるが、「玄語」という著作で語られた哲学は、自然現象を対立した要素の中にとらえる弁証法があり、人間が自然に条件付けられていることを説くエコロジカルな思想を含む。 |