第15回 輝くソフィアンインタビュー 原 サチコ(本名:原 佐智子)さん
第15回 輝くソフィアンインタビュー 原 サチコ(本名:原 佐智子)さん
2013.08.09

原 サチコ(本名:原 佐智子)さん
ハンブルク・ドイツ劇場専属俳優 1988年卒業(外国語学部ドイツ語学科)

学校外のアングラ劇団で活動していました
自分で言うのもなんですが、大学に入るまではお嬢様学校に通う英語が得意な優等生でした。社会に出るまでに外国語をもう一つ身につけたいと思い、上智大学のドイツ語学科に進学したのですが、わずか数か月で勉強についていけなくなり挫折…。弓道部にも入部していましたが、こちらも落ちこぼれてしまい、1年の秋には退部してしまいました。当時は体が弱かったこともあり、町田からの通学中、途中下車することもしばしば。やっと出席しても顔色が悪くて、先生に「原さん、具合が悪そうだから保健センターにいってらっしゃい」と勧められてしまうこともありましたね。
そんな私が演劇の世界に踏み込んだきっかけは、ファンだった漫画家のサイン会のポスターを下北沢で見つけたことでした。サインをもらうために駆けつけてみると、そこはある演劇の女子高生役を探すオーディション会場だったのです。実は漫画家の方がそのポスターを描いただけで、サイン会というのは私の全くの勘違いでした。でも、そこで出会った仲間たちと不思議とすぐに意気投合し、なんとオーディションにも合格して、小劇場「演劇舎蟷螂」で演劇を始めることに。ただ、アングラ系の劇団だったこともあり、マジメな両親にはいい顔をされませんでした。その影響もあって、私自身もなんだか人に堂々と言えないことをしている気がしていましたね。
当時はバブルの真っ最中の華やかな時代。ブランドもののお洋服とカバンを身に着け、綺麗にお化粧をしているキラキラした学生が行き交うキャンパス内で、自分を「アングラ劇団に所属しているダメ人間」のように卑下していた私は、道の隅っこを選んで歩いていました。

熱意と行動で「運命の出会い」を引き寄せる
大学卒業後は就職せず、いくつかの劇団を渡り歩き、「劇団ロマンチカ」退団後は、舞台だけでなくテレビやラジオなどにも出演していました。転機が訪れたのは35歳のとき。舞台美術家・演出家として活躍していた渡辺和子さん演出の新国立劇場公演『羅生門』に出演中に、ベルリンでの公演に誘われて彼女が演出する作品に出演することに。私のもう一つの狙いは、映画『UNITED TRASH』を見て以来憧れていたドイツの新進気鋭の映画作家であり舞台演出家でもあるクリストフ・シュリンゲンジーフと滞在中に出会うこと。共演者や知り合いに手当たり次第に声をかけて「クリストフと会いたい」と言っていたら、一ヶ月後に知り合う事が出来、幸運にも一緒に仕事できることになりました。これが移住のきっかけになりました。
ドイツ語学科を卒業したものの、卒業してから12年間ドイツ語に触れることがほとんどなく、ドイツ語はベルリンの語学学校で学び直しましたが、全学共通科目で学んだデーケン先生の『死の哲学』の講義をはじめとするドイツ哲学を学ぶ授業や、ドイツ文学科で開講されていたブレヒトの『コーカサスの白墨の輪』を朗読する授業などが、今も大いに役立っています。というのも、ドイツ演劇の作品作りには哲学や政治学の本を参考文献にする場合が多く、稽古初日に台本と一緒に哲学書が手渡されることがあるほど、演劇人にとって身近なものなのです。
上智でドイツ人の先生方と触れ合ったおかげで、「ドイツ人気質」を理解できたことも、国民性の違いに戸惑わずにすんだ理由です。ちなみに当時、日本語の名前を覚えられないので、学生をドイツ語のあだ名で呼ぶ先生がいて、私はドイツの音楽学校を舞台に描かれた池田理代子先生の少女漫画『オルフェウスの窓』に登場する「フリデリーケ」という少女の名前で呼んでもらっていました。懐かしいですね。

今、上智との不思議な縁を感じています
ドイツに渡って早12年。2013年8月からはドイツ演劇人の憧れであるハンブルク・ドイツ劇場の専属俳優として舞台に上がります。しかしながら、ここにたどり着くまでに、日本に帰るか否かという瀬戸際に何度も立たされてきました。仕事もお金もなく不安で眠れないこともありましたし、舞台上のこととはいえ、観客の非難を浴びる役を引き受けたこともあります。私は根が臆病ですから、そうした大変なことが迫ってくるときは、いつも悩みもがき苦しんできました。でも、最終的には「死ぬよりはまし」と不安を突き破り、パワーを引き出してきたんです。
そして、舞台では見た目がドイツ人でないことを逆手に利用して、自分の居場所を築きあげてきました。最近は日本をテーマにした舞台に立つこともありますが、これまで日本人だということをアピールせず、一目で日本人と分かるような役は引き受けなかったことが、役者としての幅を広げてくれたのかもしれません。
今回は、ドイツで舞台俳優として活躍しているということで、『輝くソフィアン』に取り上げてもらえたのだと思いますが、学生時代は劣等生だったので、数年前までプロフィールでも上智大学卒だということは伏せてきました。でも、これからはソフィアンの方たちと、もう少し積極的につながっていきたいと考えています。つい最近、ハンブルクのソフィア会の方からもバーベキューパーティーにお誘いいただいたところですし、今は上智大学のことを振り返るべき時期なのかもしれません。どんなところでお役に立てるか分かりませんが、まずは演劇を通じて、日本とドイツの橋渡し役になれればと思っています。
2013年8月から専属俳優となるハンブルク・ドイツ劇場
ハンブルク・ドイツ劇場の広報誌に掲載された
原さんの写真

1964年11月 神奈川県生まれ。1988年外国語学部ドイツ語学科卒。
1984年より演劇舎蟷螂にて演劇を開始し、後に劇団ロマンチカにて活動。
1999年渡辺和子演出「NARAYAMA」ベルリン公演でドイツにて初舞台。滞在中に鬼才クリストフ・シュリンゲンジーフ氏に才能を見出され、彼の作品に出演。
2001年よりベルリンへ移住。その後、ニコラス・シュテーマン演出の「三文オペラ」ポリー役をきっかけに様々な演出家の作品に出演。
2004年より、東洋人として初めてウィーン・ブルク劇場の専属俳優となり、シュリンゲンジーフ、シュテーマンをはじめ、ルネ・ポレシュ、セバスチャン・ハルトマン氏などの作品に出演。
2009年にハノーファー州立劇場に移籍。
2011年にはケルン州立劇場で「Demokratie in Abendstunden/Kein Licht」に出演。
2013年8月からドイツ演劇人の憧れであるハンブルク・ドイツ劇場の専属となる。私生活では12歳になる息子を育てるワーキング・シングルマザー。
