第11回 輝くソフィアンインタビュー 入船亭扇治(本名 児山智明)さん

Veritas

入船亭扇治(本名 児山智明)さん  噺家

2012.11.20

マスコミ志望で新聞学科に入学するも落語の世界に入浸りの学生生活でした 入船亭扇治(本名 児山智明)さん 噺家 1986年卒業(文学部新聞学科)

入船亭扇治(本名 児山智明)さん
噺家

着物で授業に出て先生に叱られたことも
図書館司書資格が唯一の学業面での成果です

 私が落語と出会ったのは小学3年生の夏休み。手つかずの読書感想文をやっつけるために、「なにかいい本はないかしら?」と父親の書棚を探していたとき、落語名作全集を見つけたのがきっかけで、ラジオやテレビの番組を追いかけるようになりました。高校時代は、新聞委員会の活動に熱中。当時はオフセット印刷が主流の時代でしたが、私たちはロットリングという微細な線を引くためのペンを使い、手作りで新聞を作っていた。それが面白かったのか、全国の高校新聞コンテストにも何度か入賞したんです。そういう経験もあり、将来はマスコミ関係の仕事に就きたいと思っていました。上智大学を選んだのは、新聞学科という専門学科があったから。入学当初は、将来は新聞社などのマスコミ関係で活躍したいという青雲の志を持っていたものでした。

 しかしながら、落語研究会に入会後は生活が一変して、落語の世界に入り浸り。稽古後に着替えている時間がないものだから、着物でそのまま講義に出ることもありました。すると、外国人の先生から「不謹慎だ」なんて叱られることもありまして。でも、あるとき、新聞学科の武市英雄先生が「先生、着物は日本人の正装です。それに落語というのは、ただの大衆演芸ではなく、人々が読み書きできない時代にニュースを広めるという役目も持っていた。だから不謹慎ではありませんよ」とかばってくださったんです。その言葉を聞いて「ああ、私は武市先生のゼミに入ろう」と決意したものでした。ほとんど学校に行かない、けしからん学生でしたが、先生の授業だけは出るように心がけていましたね。

 ちなみに、学業面での成果として唯一胸を張れるのが、図書館司書の資格をとったこと。恐らく、落語家でこの資格を持っているのは私一人でしょう。そのおかげもあってか、今もご縁のある図書館で「図書館寄席」なるものをやらせていただいています。

マイナス評価から拍手の嵐へ
柳家さん喬の落語を聞いて心を決める

 大学2年生の秋からは、新宿末廣亭という寄席でアルバイトをするようになり、仕事の合間に落語をあびるように聴く、という毎日を過ごしていました。ただし、心の中で噺家に憧れながらも、なろうとは思っていなかった。ですから大学4年生になって、遅まきながらも就職活動を始め、新聞社の試験を受けたりしていたんです。でも、あるとき、大物同士の競演でも大トリを務める名噺家、柳家小三治が、末廣亭の土曜の公演を休むことになりました。柳家小三治の代わりとなると、相当な人気者でなければお客さんは納得しません。
 でも、そのとき代役をつとめたのは、当時はまだそれほど有名ではない柳家さん喬。普通は師匠の代わりにやるとなれば、いいわけを兼ねた掴みを入れるものなんですが、さん喬はそのままやりはじめた。しかも、それが本当にいい出来だったんです。「小三治が出ないっていうから帰ろうと思ったけど聴いてよかった。これから、さん喬って人を贔屓にさせてもらうよ」なんて言っているお客さまもいましてね。それで、落語っていうのは、マイナスからこんなに高いところまで評価をひっくり返すことができるすごい芸だとあらためて感心しましたし、それを自分でもやってみたいと思ったんです。

 そうして芸の道に入りましたが、いくつもの大きな壁にぶち当たりました。なかでも堪えたのは、桂平治(現・11代目文治)との二人会でのこと。この先輩は骨太で爆笑を誘う私も個人的に大好きな噺家なんですが、「『扇治とかいう人は、平治さんと比べて面白くない』と話していたお客さんがいた」なんて話を受付をしていたから聞いて、だいぶショックを受けたことがありました。でも、そのときに気づいたんです。他人と私とでは、噺家として目指すベクトルが違うと。大切なのは、自分の声で自分の節で、人に伝えることができるかだと。私の落語は爆笑を呼ぶものではないけれど、誰かの癒しになってくれればいいと、今はそんな風に思っています。

認められないことは悪ではない
巻き戻しの多い人こそ「人生の達人」になれる

 落語の世界で大卒というのは自慢できることじゃありません。優秀な大学の場合はなおさら。入門が遅れたり、落研で変な癖がついたりと、大学の経験が芸の邪魔になることがあっても、役に立つことはないと言われています。落語の世界ほど極端ではなくても、上智大学を卒業して社会に出たのに、また下っ端の立場に巻き戻されてしまったという人もいるでしょう。なかには、今まさにうなだれて、立ち止まっている人もいるかもしれません。

 でも、ほかの人間が脚光を浴びているからといって、自分を悲観することはないんです。これは私の師匠の言葉ですが、「大きな飛行機ほど滑走路が長い」というように、今、認められていないことは、決して悪いことではない。それに、いっぱい悩んで、たくさん挫折した人のほうが、経験則が増えていくものですから、人生を力強く生き抜くことができるかもしれません。挫折を繰り返し、年を重ねて行くと人生との折り合いのつけ方が上手になるものです。そう考えると年をとるのも悪くない。とくに落語の場合、年をとると滑舌が悪くなったり、声量が落ちたりしますが、そうした肉体的な衰えを補う経験則がある。この世界では、60歳すぎて若手、70歳すぎてようやく味が出てきた、なんて言われることもあるくらいですから。

 巻き戻されている最中は大変ですが、そもそも人生には巻き戻しできる機会がそんなにありません。就職する、転職する、役職が変わるなど、機会は限られていると思うのです。そこで、リセットされた自分の立場を受け入れて、成長していく。それを積み重ねていけるのが、人生の達人なのかなぁと、そんな気がしています。


入船亭扇治(本名 児山智明)さん プロフィール

1986年3月 上智大学 文学部 新聞学科卒業
1986年9月 入船亭扇橋に入門、前座名「扇べい」
1987年3月 前座として楽屋入り、鈴本演芸場にて初高座
1990年9月 二つ目昇進、「扇治」と改名
1992年4月 国立演芸場 第53回花形演芸会 銀賞受賞
2000年10月 NHK新人演芸大賞 入選
2001年9月 真打昇進
2003年5月 「林家彦六賞」受賞

■舞踊藤蔭流の名取、高座姿と仕草の美しさには定評が。寄席でトリを務める機会も多い。古典落語のしっかりした基礎を守りつつ、新作にも挑戦。 お客様からお題を頂戴して即興で1席申し上げる「三題噺」も得意とする
■NHK学園「多摩カレッジ」の講師を務めて8年目。「江戸豆知識」として楽しく面白く、落語の背景についてのトークを展開します。/司書資格を持つ、 おそらく唯一の噺家。本・読書をこよなく愛し、本に囲まれての「図書館寄席」は、北海道留辺蘂を皮切りに少しずつ全国に広がっています。
■大好きなもの:ミステリー・猫を愛でること・アニメと特撮・中日ドラゴンズ・楽しく飲むお酒。

☆11月22日(木)18時30分~池袋演芸場にて勉強会『扇治の道も一歩から 第16歩』 12月1日~10日、新宿末廣亭昼の部のトリを務めます。

詳細は公式ブログ 「扇治の道も一歩から」をご覧ください。
http://senji.exblog.jp/


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