第10回 輝くソフィアンインタビュー 柴谷晋さん
柴谷晋さん 茗渓学園英語科教員、高校ラグビー部コーチ、日本聴覚障害者ラグビー連盟広報担当、ノンフィクションライター
2012.11.17
柴谷晋さん
茗渓学園英語科教員、高校ラグビー部コーチ
日本聴覚障害者ラグビー連盟広報担当、ノンフィクションライター
2000年卒業(外国語学部フランス語学科)
2019ワールドカップに向けて活動中
「デフラグビー(Deaf Rugby)」という競技をご存知でしょうか。聴覚障がいを持つ選手たちによるラグビー。私はその普及に努めるため、高校教師として、またノンフィクションライターとしての仕事の傍ら、日本聴覚障害者ラグビー連盟の広報を担当しています。そして私自身もまた、最近までデフラグビーの選手としてグラウンドを駆けていました。耳の不自由な人にとってラグビーは、とてもハードルの高い競技です。ラグビーは激しく体をぶつけあうだけでなく、パスをするときは自分よりも前にボールを投げてはいけないというルールがありますから、通常は味方とのコミュニケーションを取るのに声を掛け合うことが重要な役目を果たします。その「声」が使えない。これは大きなハンディです。
しかし、このハンディを乗り越えることは決して不可能ではありません。手話を使ったり、サインを送ったり、事前によく意思疎通を図ったりと工夫を凝らせば、言葉を超えたコミュニケーションは成立します。声は聞こえなくてもわかりあえる。そのことに、デフラグビーとの出会いを通じて私も初めて気がつきました。大切なのは言葉そのものではなく、相手の立場を深く想像することだと。聴覚障がいを持つ人は、普段の生活では言葉を伝えあうのに多かれ少なかれ不便や不満を感じています。その反面、試合に出れば仲間と通じあえることに大きな喜びを感じるのです。事実、私が取材したある選手は、嬉しそうにこう話してくれました。「ラグビーの一番の楽しさは、仲間とコミュニケーションを取ることです」。
日本でデフラグビーが始まったのは約20年前、1994年のことですが、いまだに競技人口が少ないことが課題です。昨年(2011年)、私たちの連盟は本場オーストラリアのチームを招聘し、国内初のデフラグビー国際試合を開催しました。これを機に新人選手を獲得することもでき、今後予定している豪州遠征や、国内でのパシフィック大会の実現にも期待をしているところです。当面の大きな目標は、2019年に日本で開かれるラグビーワールドカップに合わせ、大会直後にデフラグビーの世界大会を開催すること。そして、日本代表を優勝へと導くことです。
学生時代の時間はいつか必ず糧になる
私がラグビーを始めたのは中学1年生の時。高校でもラグビーに打ち込み、上智大学でもラグビー部に所属。外国語学部でフランス語を専攻したのも、語学が好きだったこともありますが、フランスのラグビーに憧れていたからでもあります。大学2年生でフランスへのラグビー留学を決意。フランスきっての名門クラブ「スタッド・トゥールーザン」に直接手紙を出して、単身現地に乗り込みました。運よく入団は認められたものの、日本での準備不足が祟って言葉がうまく通じないうえ、怪我のためプレイでも満足な結果を残せないまま、帰国の日を迎えることになりました。突発性難聴を患ったのは、その直前です。これを境にラグビーから距離を置いていた私が、卒業後しばらくしてデフラグビーの存在を知り、再び強く惹きつけられることになったのは、あのときの不完全燃焼が心のどこかに引っかかっていたからなのでしょう。悩みや挫折、不完全燃焼は若い世代の特権です。しかし、それが永遠に続くわけではありません。無為に過ごしたと思える時間も、いつか必ず取り戻せるときが来ます。思えば、上智という大学のある種おっとりとした学風には、そうした若者の迷いを包み込んで、やがて糧へと変えてくれる力があるような気がします。
当時の私も決して勉強熱心といえる学生ではなく、フランス語そのものよりも思想や文学に興味がありました。ゼミの担当教員は、現代思想のガブリエル・メランベルジェ先生(故人)。世の中をよく観察し、メディアの言うことや常識を鵜呑みにしないという先生の姿勢に強く惹かれたのを覚えています。あるとき、映画『タイタニック』を観て、話が進むにつれてヒロインのメイクが現代的に変わっていくのに気づいた私は、「あれは女性自身が封建的制度から抜け出し、現代人として自らの道を選択したことを暗示しているのでは?」と先生に問いかけてみたことがあります。「よく気がついたね」と褒めていただいたときはとても嬉しかったです。 やがて私が物書きの道へと進むことになったのも、メランベルジェ先生との出会いがきっかけの1つだったと思います。最近では就職のことを考えてダブルスクールに励む学生も多いと聞きます。それはそれで立派なことですが、少し残念にも思います。思想を学ぶことは、社会が求める実践力とは必ずしも一致しないでしょう。しかし私にとっては、ものの考え方を学ぶうえで大きな意味があったのです。実践的なスキルだけでなく、一見無駄だと思えるような勉強にも、大学生活の大きな意義があるように感じています。
だからこそ広がる新しい可能性
私は今、新しいことをどんどん取り入れようと心がけています。専業ライターから教員兼ラグビーコーチへの転身を考えたのも、自分にはもっと新しい経験や苦労が必要なのだと思ったから。できるだけ幅広い分野の人と接し、新しいテクノロジーを取り入れ、自分自身の可能性を広げていこうと思っています。 その1つとして取り組んでいるのは、コンピュータで解析したラグビーの試合の映像データをもとに、ソーシャルラーニングの教材を作成すること。これをインターネットを介して各地に散らばるデフラグビーの選手に配信すれば、時間と空間の壁を乗り越えた指導と練習が可能になるはずです。日本聴覚障害者ラグビー連盟に所属する選手は全国にわずか30人。全員が同時に集まれる機会はなかなかないのです。これからのデフラグビーの発展にぜひ期待してください。
1975年 茨城県生まれ
1994年 茗渓学園高校在学中に全国高校ラグビー大会(花園)に出場、高校日本代表候補となる
1995年 上智大学外国語学部フランス語学科に進学
1996年 フランスに留学、名門ラグビークラブ「スタッド・トゥールーザン」に所属
2000年 上智大学卒業。広告代理店勤務を経てライターとして独立
2002年 第1回デフラグビー世界大会に出場(ニュージーランド)
2006年 日本聴覚障害者ラグビー連盟が発足、広報担当に
2010年 茗渓学園教員、同高校ラグビー部コーチに就任
主な著書:『静かなるホイッスル』『出る杭を伸ばせ』(ともに新潮社)
日本聴覚障害者ラグビー連盟
http://deafrugbyjapan.com/