第9回 地域便り

Others Global Veritas

フランクフルト便り 木村護郎クリストフ先生(外国語学部ドイツ語学科)

2012.12.10


「どうしてよりによってそんなところへ!?」というのが、在外研究でドイツの東端の町に行くと言ったときの友人知人たちの大方の反応でした。ずいぶん失礼な反応だと思われるかもしれませんが、私にとっては意外ではありませんでした。実際、国際空港で知られるフランクフルトと同じ名前ながらこれほど対照的な町もないでしょう。片やドイツの空の玄関として『地球の歩き方』の巻頭で20ページにわたって詳述されるのに対し、こちらの方は登場さえしない。同名の町が二つあると知らずにこちらのフランクフルトにきてしまい、ホテルでゆっくりしたあと市内観光はどこかと聞いたものの、こちらは観光客向けのツアーなどなく、それではじめて間違えたことに気づいた日本人がいたとか。

欧州中央銀行を擁する経済発展の中心地フランクフルト・アム・マインとちがって今住んでいるフランクフルト・アン・デア・オーダーの方は1990年のドイツ統一から今日までに人口の1/3を失い、6万人を割って今も減少が続く縮小都市です。私たちがこちらにきてからの数カ月でも、はじめに靴を買った靴屋や気にいったレストランなどいくつかの店がなくなり、さびしい思いをしました。21世紀に入ってソーラー産業を誘致することに成功したものの、中国との競争に負けて今年末には工場が撤退することになり、1200人の従業員が仕事を失う見込みです。失業率は15%にせまり、州内でもっとも貧しい家庭の多い町でもあります。典型的な辺境の町といえるでしょう。

新しい高層ビルが林立するもう一方のフランクフルトとちがい、こちらは1970年代に建てられた25階建ての箱ビル「オーダー塔」が市の中心で今も孤高を誇っています。

しかし辺境といってもそれはドイツという一つの国単位の見方です。当地は決して地の果てではなくヨーロッパ大陸のただなかにあり、すぐ川の向こうはポーランドです。以前はヨーロッパ連合の東境として厳重な国境検問がありましたが、2004年のポーランドのヨーロッパ連合加盟を経て、ついに2011年からは就労を含む移動が完全に自由化されました。EUは今年ノーベル平和賞をもらいましたが、かつて第二次世界大戦の発端となり戦後も「オーダー・ナイセ線」の国境問題でもめてきたドイツ・ポーランド関係史を思うと、川の両岸を人々が自由に行き来し、ドイツ側でポーランド語が、ポーランド側でドイツ語が日常的に聞かれるようになった光景は、EUにあれこれ問題はあるにせよ、これだけでもじゅうぶん平和賞に値すると思います。町にとっても、ポーランド側に目を向けることによる新たな可能性が認識され、政治、経済、文化の各領域で急速に協力関係が進みつつあります。この12月にいよいよ川の両側をつなぐ市バスの「国際路線」が開通するのは象徴的な出来事です。ヨーロッパ統合を生活の現場からみるという私の関心からすると、その進展が目の前で観察できるこれ以上ない場といえます。

これが、あえてここに来た理由なのですが、実際きてみると、思いのほか快適です。宿舎の2件先には劇場、大通りの反対側にはコンサートホール、その向かいには図書館、そこに行く途中で買い物もすませられる、といった具合にすべてが便利で、大学町だけあって文化的な催しもたくさんあります。気がかりはこちらの生活よりも、研究室まで自転車で5分という環境になれてしまったあとで来年東京に戻って、再び毎日往復2時間の満員電車通勤生活に適応できるかということに移りつつあります。それまでは、この貴重な1年を活かしてかつての辺境がヨーロッパの東西のつなぎ目としてどのような新たな希望をみいだしていくかをしっかり見てこようと思っています。

もうひとつのフランクフルトに国際空港があれば、こちらのフランクフルトには国際河港がある!といっても単なる小さな船着き場ですが、ポーランド語との二言語表記に注目のこと。対岸がポーランドです。辺境の功か、国境の川沿いは豊かな自然が残され、新たに自転車道も整備されて自然好きの観光客を呼び寄せています。越境移動の自由化を利用して(?)なんとオオカミもポーランドから川をわたって100何年ぶりにドイツに住みつきました。賛否両論ですが、これも新たな観光資源になりそうです。

前の記事