第6回 地域便り

Veritas

上海便り 松本 治さん 1984年卒業(大学・外国語学部英語学科)

2012.05.17

 生まれて初めて中国の地に立ったのは、米国での海外駐在から帰国してしばらくした2000年、当時40歳である。その10年後に私は今、上海にいる。2009年夏に赴任したのでもうすぐ3年になる。米国・シンガポールと海外での仕事経験はそれなり、しかし今回は今まで経験しなかった「言葉」の問題があった。会社やホテルの中では英語は通じるが、街に出れば英語が通じる相手を見つけられるのは、交通事故に遭遇する可能性より低い。「すぐに使える中国語会話」、「旅に役立つカンタン中国語」など、嘘だ。カタカナ読みしても全く使えない、役立たないのである。

 

 これは私にとって、結構ショーゲキテキな出来事であった。大学入学後、初めて受けた外国人教授の英語の授業ですら(?)もうちょっとなんとかなった。必死の思いで遅刻の言い訳だってしたのに、世界の「ビッグマック」すら、ここでは通じないのである。唸っているうちに、横や後ろにいた他のお客に注文の主導権を奪われてしまう、生きるために食べ物を手に入れるのすら簡単ではない。

 言葉以外にも違和感が多い。たとえば地下鉄やエレベーターの乗降。「先下后上」(降りる人が先、乗る人は後での意味)と目立つところに大きく書いてはあるが、ドアが開くや否や、我先にと突撃する人が少なくない。わずかな隙間とタイミングを見計らってすり抜けていくワザを身に着けるには結構訓練が要る。降りる前に乗ってくる人たちの波をまともにかぶれば、お相撲さんでもない限りとても降りられないだろう。

 

 中国はとにかく人が多い。だから、「リラックス」した状態で並んでなどいたらいつ自分の番が来るかわからない。割り込みされるほうも怒らないし、割り込みするほうも悪気もないのだ。この一種の大らかさとも言える感覚には感心するほどである。また、中国における「服務(いわゆるサービス)」に対して、自分の基準に沿ったサービスを期待するのは、精神を病む原因になるのでお勧めしない。グローバルに展開する某ファストフード店ですら、お釣りを卓上に(我々から見ると相当乱暴に)放る従業員がいることは珍しくない。この地の人たちにとっては極めて「標準」のようである。自分の基準に反した相手の行動に腹を立てていては身が持たない。

 人間関係も独特だと思う。見ず知らずの私を押しのけてハンバーガーを買った人でも、一旦友達になれば、その翌日には、私のために他人を押しのけてハンバーガーをわざわざ買ってきてくれる人たちである。内緒話でもないのに、話をするときにやたら顔が接近し、しかも声が大きい。信頼が築ければ、驚くほど劇的に人間関係は変化する。これはとても面白いと思うが、逆に言えば一旦信頼を失うと、真逆のことが起こりうるということを肝に銘じなければならない。

 

 一言も話せなかった中国語も、今や生活する上で最低限必要な程度のことは話せるようになった。地下鉄の乗降も結構イケている自信がある。お金を投げられたくらいではもはや腹も立てない。中国経験はまだ少ないながら、今や中国は相当オモシロイところだと思うようになっている。あと何年ここで暮らせるかわからないが、どこにいてもこの国の今後の発展を見守って行きたいと思う。

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【写真:上】

これは現在住んでいるマンションから撮った上海のオフィス街風景です。手前に見えるお寺のような建物は「豫園」、その後方にそびえ建つ高層ビルは「森ビル」です。 元旦にはこのビルの展望フロアから初日の出を見る人が増えています(有料!)

 

【写真:中】

Sheshan Golf Club(ここで開催された試合にはタイガーウッズや石川遼くんも参加した)の9番ホールが背景。上海市内から30分で行けるばぶりーなゴルフ場で中国らしくありません。ちなみにこのホール・・・えっといくつだったっけな?

 

【写真:下】

会社の新年会で現地社員らと(後列右端が私)。新任駐在員のパフォーマンスは必須。年々レベルが向上し、現地スタッフの最大の楽しみとなっています。おじさんも例外なく高レベルなパフォーマンスが求められ、アンコールを受けない年次の駐在員は早く帰るという言い伝え(?)があるほど。アンコールの声を聞くために数ヶ月前から中国語や踊りのレッスンに汗を流しますが中国式乾杯(攻撃?)を受けて、出番を前に気絶してしまう人・行方不明になる人もいます・・・

松本 治(1984年卒業 大学・外国語学部英語学科)

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