第9回 あの人に会いたい

Veritas

第9回 あの人に会いたい 田中幸子先生 元外国語学部フランス語学科長

2013.06.20

目に見えないものの価値を重んじる 母校の教えを胸に抱いて― 田中幸子先生(元外国語学部フランス語学科長)

田中幸子先生(元外国語学部フランス語学科長)

遠く離れた異国の地から、被災地にエールを送る田中先生。
そのバイタリティあふれる活動のご様子は、
多くの学生たちから慕われた、教員時代の姿と重なります。

田中幸子先生
さまざまな可能性を秘めた
CALL教室の立ち上げ

 コンピュータを使った語学学習といえば、今やどの大学でも当たり前になったが、上智大学ではインターネットがマルチメディア時代に入った1990代の後半に、CALL(Computer Assisted Language Learning)教室立ち上げのプロジェクトが始動した。このとき担当主任として尽力されたのが、当時外国語学部フランス語学科で教鞭を執られていた田中幸子先生だ。

 「マルチメディアの時代が到来し、外国語を教えている先生方を中心に、授業にコンピュータを取り入れられないかという声があがってきました。上智の学生はみな意欲が高いので、材料を提供すればさまざまな能力を引き出すことができる。授業の可能性を広げるうえでも、CALL教室の立ち上げが急務となったのです」

 英語やドイツ語、イスパニア語などさまざまな言語を担当する先生方にアンケートをとることから始め、言語や授業の内容を問わず、誰もが使いやすい学習環境を実現するために、田中先生は文字通り奔走した。まずは、35名ほどの小さな教室からスタートしたところ、予想をこえる反響があり、2005年には教材準備室を完備した5つのCALL教室が稼働することになったのである。

フランスの大学と交換授業で
リアルコミュニケーション

 田中先生がCALL教室で試みたのは、フランスの大学との「交換授業」。これが、すこぶるおもしろい授業なのだ。

 フランス・グルノーブル大学で教員を目指して学ぶ修士課程の学生が、リスニングや読解の課題をつくり、毎週ウェブ上の「フォーラム」にアップする。上智大学の学生は90分の授業の間に課題の答えを考え発信する。学生たちが苦心して返した返事に、フランスの院生が翌週までにフィードバックをくれる。フォーラムを介して、文字だけでなく、音声でのやりとりもできるのが特長だ。ときにはフォーラム上でおしゃべりが繰り広げられるなど、CALL教室にリアルコミュニケーションの場が実現されたのである。

 ただし、田中先生がこの授業で上智の学生たちに身につけてほしかったのは、フランス語ばかりではなかったようだ。
 「同じ課題を与えられても、人によって着目するポイントは違いますし、発信したい内容も異なるでしょう。相手との違いを受け入れ、理解しながら、いかに自分の意見を伝えるか。より伝わりやすくするための話し方、内容の構築の仕方とはどんなものか。それらすべての力が統合されて『発信力』となります。仮にフランス語を忘れてしまったとしても、そこで鍛えた発信力は『底力』となって、その後の人生で必ず発揮されるものだと信じています」

 学生たちにとってはかなりハードな授業だったが、「留学先でとても役に立った」など、手応えを実感した学生は少なくない。田中先生自ら「最終到達点」と評するこの授業は3年間にわたって開講され、その後2009年に、田中先生は20年間の教員人生に幕を下ろされた。

CALL教室で最終講義。授業後の懇親会では思い出に花が咲いた。
私たちを大きく包み込む
母校・上智大学の教え

 退職後はオーストリアの小さな村で、フランス語関連の本を執筆しながらイギリス人のご主人と穏やかに暮らしていた。そこへ、2011年3月11日、東日本大震災が起こる。阪神・淡路大地震で前のご主人を亡くされている田中先生にとって、それはまったく他人事とは思えなかった。

 「外国にいる自分にも何かできることはないだろうか。そう考えたときに出会ったのが『まけないぞう』さんだったのです」

 「まけないぞう」とは、ゾウの形をした壁掛けタオル。阪神・淡路大震災の際に、避難生活を続ける被災者の方々に生きがいを持ってもらおうと「被災地NGO恊働センター」が始めたプロジェクトで、制作費として1つにつき100円がつくり手である被災者の方に渡される。東日本大震災でもこの取り組みが引き継がれていることを知り、田中先生は「まけないぞう」の活動を応援する「makenaizone」のメンバーとなって、海外に住む人たちにぞうさんを宣伝したり、ホームページの編集長として日本中から、そして海外から寄せられる応援メッセージを被災地に届けたりする活動をしている。

 「折にふれて、卒業生のみなさんといっしょに活動しているんですよ。上智では、一人ひとりをかけがえのない存在としてとらえ、目に見えないものの価値を大切にする土壌があります。だから、私自身も『まけないぞう』さんにこんなに夢中になっているし、ソフィアンのみなさんも共鳴してくれるのだと思います」

 長い人生にはつらいこと、思い通りにならないこともある。けれど、母校の教えはどこまでも大きく、深く、優しい。それは、とても心強いことだと田中先生は語る。「私たちには戻ってくる場所があるのです」。

卒業生といっしょに「まけないぞう」を応援。
CALLとは何か?

田中 幸子

 CALLとは、Computer-assisted language Learningの略。「コンピュータを道具として使って言語を学習する」という意味のことばです。コンピュータの出始めの時代にはCAI(Computer-assisted instruction)ということばが使われましたが、それは教師が中心になって教室をコントロールする教育を前提としたものでした。90年代の終わり頃から使われるようになったCALLということばは「言語の学習に取り組む学習者」を中心に据える考え方を反映します。
 21世紀のはじめに立つわたしたちが提供できる「快適な外国語学習環境」とは何か・・・その問いかけから発した上智大学CALLは、「語学の上智」の歴史を引き継ぎ、外国語を学ぶための新しい環境をつくりだしています。環境とは、空間であり、材料や道具であり、人と人との関わりです。新しい場所へ出かけて土を踏み風にふかれる。今まで経験したことのない味や手触り、伝統に世界の大きさを感じ、人と伝え合う。学問の営みを知り、感情のうねり、精神の深みに耳をすます。もとからあるものの枠にとらわれず、新しい価値を発見し創り出す。そのような行動によって新しい言語の世界をつかみとっていくことが、外国語の学習であるということができるのではないか。「語学の上智」の基盤は、そのような行動の積み重ねによって生み出されてきたものでありましょう。
 上智大学「CALL」は、コンピュータ、ネットワーク、マルチメディアコンテンツ、インターネットなどの技術を道具として、学生諸君、教師、職員の力を集めてこの伝統にもうひとつ、ページを書き加える場として開かれました。


田中幸子先生 プロフィール
田中幸子先生

上智大学名誉教授。
1989年上智大学外国語学部講師に。
その後、助教授、教授を経て、2007年から2009年まで外国語学部フランス語学科長。
2009年に退任したのち、2011年より名誉教授。
著書に『Eメールのフランス語』、『フランス語語彙をひろげる7つのテクニック』(白水社)など。
執筆活動の傍ら、東日本大震災の被災者支援を応援する「makenaizone」のメンバーとして精力的に活動する。


◇makenaizone
  http://www.makenaizone.jp
  http://www.facebook.com/makenaizone


◇「まけないぞう」の取り組み(被災地NGO恊働センター)
  http://www.pure.ne.jp/~ngo/
  http://www.facebook.com/KOBE1.17NGO



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