第8回 あの人に会いたい

Veritas

第8回 目黒依子先生 元上智大学総合人間科学部教授

2013.02.20

自分の人生は自分で選びとる その姿勢を忘れずに 目黒依子先生(元上智大学総合人間科学部教授)

目黒依子先生(元上智大学総合人間科学部教授)

独自の視点でたゆまぬ研究を続け
日本の社会学に多大な貢献を果たした目黒先生。
その生き方こそが、私たちへの最大のメッセージです。

目黒依子先生
40年の教員生活を支えてきた
研究者としての実績と矜持

 1968年に文学部非常勤講師として教壇に立って以来、2009年に名誉教授として退職されるまで、目黒依子先生は約40年にわたって上智大学で教員生活を送られた。その間、そして今でも、日本の社会学の進展にとって欠くことのできない存在であり続けている。

 「初めて担当した講義は農村社会学と家族社会学。それが上智で教えるための条件でした。ちょうど共学になって間もない頃で、増えはじめた女子学生のためにも『家族』というテーマが求められたのでしょう」

 しかし、目黒先生が東大の修士課程で修めたのは農村社会学である。当時アメリカが主流であった現代家族の社会学的研究について知見を深めるため、折よく参加していた家族の国際比較研究グループのつてを頼って博士課程への留学を決意。上智大学へは、71年に専任教員となってすぐに休職を願い出たという。
 「これは私にとって大きな賭けでした。ピタウ学長から申し渡された期限は3年。その間に博士号を取れなければ、研究者としての道は断念しようとまで考えました」
 まさにその3年間での成果が、今に続く研究の方向性を決定づける土台となった。「後にも先にも、あれほど勉強したことはない」と先生自身が言う苛酷な生活のなか、連日連夜の文献調査で巡りあった実証研究の最先端を行く分析方法論「ネットワーク理論」を枠組みとして、博士論文『現代日本の家族と社会的ネットワーク』を完成させた。

 「それまでの社会学では、政治や経済、宗教といった社会のある局面だけを切り取り、その固まりごとの分析に終始していました。家族もその1つです。しかし、人間の生活は家庭の内と外に分断されて成立しているわけではない。家族の一員であると同時に職場や学校の一員でもあり、外の世界とのつながり方いかんで内側のあり方もまた変わってくるのです。であれば、個人なり家族なりを起点として、そこから広がる社会的な関係性にも目を向ける必要がある。それがネットワーク理論の基本的な考え方です」
 当時それはまだ、日本の学界には見られない概念であった。

気鋭の学生たちに囲まれて
日本初の女性学を上智大学に

 時期を同じくして目黒先生は留学中、アメリカで生まれたばかりの女性学との出合いも果たす。家族社会学は現実には女性が中核となっている生活領域なのに、ジェンダーの視点がまったく見られないのはおかしい。そうした問題意識のもと、ピタウ学長のたっての希望で帰国後、上智大学で開講した専門科目が「女性社会学」(後の「ジェンダーの社会学」)である。これが日本の大学で初となる、女性学・ジェンダー研究の授業だった。

 「今までにない切り口に触発されたのでしょう、学生たちの反応がすごくよかった。土曜日一限目のゼミでも、みな駆けつけるようにしてやって来て。講義の授業でも私が張り切って話をするのに釣られて、モチベーションが上がったのかもしれませんね。答案用紙に『先生の講義を受けて、初めて大学で学んだ気がしました』と書いてくれる学生もいました」
 ヒントは与えるが、すべてを教えることはしない。自分の頭で考え、答えさせる。それが目黒先生の教師としてのスタンスだ。それでも食らいついてくる、元気のいい学生が上智にはたくさんいたという。ジェンダーの視点から新しい分野に果敢に挑む先生の姿は、女子学生にとっては一種のロール・モデルであり、男子学生にとっては「性差によって一方的に押しつけられる役割」に対する仄かな疑問への最初の火付け役であったに違いない。

 目黒先生の研究テーマはその後、個人と家族と社会の相互関係を時間軸の中で捉えるライフコース研究の視点を得て、これとネットワーク理論、ジェンダー研究を統合する格好でますます進化を遂げていく。日本の家族社会学にパラダイム・シフトを起こし、グローバル標準の研究レベルにまで押し上げた功績はきわめて大きい。

高校時代、New York Herald Tribune紙主催のWorld Youth Forumに日本代表として参加(写真左/1956年)。
そこでの活躍がBriarcliff College学長の目にとまり、奨学金を得て学部課程に留学することに。
写真右は同カレッジの卒業式で(左端が目黒先生/1959年)。
ジェンダー平等の世界標準を
NGO代表として活動は続く

 国連総会日本政府代表代理、国連婦人の地位委員会日本代表、国際協力機構(JICA)研究会座長など、数々の社会的活動と研究の成果を下地に目黒先生は今、2011年に自ら立ち上げたNGO「ジェンダー・アクション・プラットフォーム(GAP)」の代表として多忙な日々を過ごす。その目的は、世界の潮流から取り残されかねない日本の政策に「ジェンダー平等のグローバルスタンダード」を導入することにある。すでに国際協力NGOからの委託で、東日本大震災の被災地支援活動に対する第三者評価にジェンダー視点を取り入れるなど、画期的な手法で成果を上げた。

 誰でも参加できる「みんなのジェンダー塾」も定期的に開催し、草の根レベルでの啓蒙活動にも余念がない。その根底には、「自分の生活や人生における選択肢を自分で選びとることができる自由」を願う目黒先生のメッセージが込められている。

 「これは上智の学生、そして卒業生の皆さんにも伝えたいことですが、自分が何を信じ、どんな道を歩むのか、氾濫する情報に惑わされることなく自分自身の責任と判断においてそれを決めてほしい。そのために、誰かによって歪曲されているかもしれない事実とされるものに目を向け、そこから浮かび上がってくるものを読み解く姿勢を大切にしてほしい。それが社会学の基本であり、私の生き方であり、平等な社会を築くための道でもあります」

GAP「みんなのジェンダー塾」スペシャル・セッション
「グローバル・スタンダードから見た日本~女性は日本経済の救世主なのか?~」の様子(2012年11月30日)。
目黒依子先生 プロフィール
目黒依子先生

上智大学名誉教授。
NGOジェンダー・アクション・プラットフォーム(GAP)代表。
米国Briarcliff College、Western College for Women卒業。
東京大学社会学研究科修士課程修了後、出版社編集者を経て、1968年上智大学文学部社会学科非常勤講師に。
71年、同専任講師となると同時に米国Case Western Reserve University大学院に留学。社会学専攻博士課程修了(社会学博士)。
74年に上智大学に戻り、助教授、教授を経て、2009年名誉教授として退任。
この間、日本家族社会学会会長のほか、国連総会日本政府代表代理、国連婦人の地位委員会日本代表など多くの学外活動に従事。
男女共同参画社会づくり功労者内閣総理大臣表彰(2005年)。
JICA第6回理事長表彰(2009年)。
2011年にGAPを立ち上げ代表となる。


◇ジェンダー・アクション・プラットフォーム(GAP)
  http://www.genderactionplatform.org/


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