第5回 あの人に会いたい

Veritas

第5回 池内温子先生 元理工学部化学科教授

2012.01.13

たとえ前例はなくとも 道は、きっと開ける 池内温子先生(元理工学部化学科教授)

池内温子先生(元理工学部化学科教授)

研究者として、女性として、信念を貫きながら
自身の道を力強く切り拓いてきた池内先生。
そのパイオニア精神は、私たちを奮い立たせてくれます。

池内温子先生
わずか10秒の実験に
研究者のロマンを垣間見る

 上智大学の理工学部に化学科が創設されたのは1962年、時を経て2008年には物質生命理工学科に移行している。池内先生が教鞭を執られた期間は1964年から2005年というから、化学科の歴史がそのまま池内先生の教員時代の年譜と重なってくる。
 「私が所属していたのは分析化学研究室。基礎化学分野のテーマに携わっていましたから、特段華々しいことはなく、地味な分野でした。早い時期から学生たちの自発的な研究意欲を引き出そうと、さまざまな働きかけをしたものです」

 毛色の変わった実験で今でも思い出すのは、北海道・砂川町で行った無重力状態における測定実験だ。廃坑となった旧三井砂川炭坑には、当時、世界で最も長く、精度のいい無重力を保てる装置が配備されていた。
 「深い縦穴にロケットのようなものを落とすのですが、落下するまでの時間はおよそ10秒。この、たった10秒のために半年以上前から準備を進め、実験の練習を重ねるのです」
 わずか数秒のために、叡智をしぼり、実験を積み重ね、万全の態勢を整えていく。研究者のロマンを駆り立てるようなこの実験に、興味を持った学生は少なくなかったようだ。

女性研究者の草分けとして
キャリアの道を切り拓く

 実験の話をする池内先生は、当時の学生たちの表情を映し出すかのように、とても快活だ。「根っから理系が好きなのでしょうね」と微笑む池内先生だが、かつては研究者の道を断念しようと思ったことがある。
 「子どもを授かったときに、周囲から『やめたほうがいい』と言われ、理不尽だとは思いましたが、気持ちがゆらいだのも事実です」

 当時は「生活に困らないのに、子どもを預けて働くとはなにごとか」と言われた時代。「世間の常識」を痛いほどに感じながら、それでも続けようと思ったのは、10年先輩の女性研究者が「とにかく続けなさい」と背中を押してくれたからだ。
 「家庭を持ったり子どもを育てたりしながらでも働くことはできる。それを証明するための、いわば『実験』をしてみたいと思ったのです」
 当時はもちろん、産休も育休制度も整っていない頃。実験がうまく進めば、深夜であろうと続行するのが当たり前の研究界において、池内先生のご苦労は相当なものだったに違いない。

 現在、上智大学では理工学部を中心に「グローバル社会に対応する女性研究者支援」プロジェクトを展開中だ。グローバルメンター制度の創設や研究支援員の配置、学内託児所の開設など、女性研究者育成のための環境整備を進めている。
 「女性研究者にはなおたくさんの壁があるでしょうが、周囲に理解してもらえるよう粘り強く働きかけることが大切です。そして、このプロジェクトの意図にもあるように、男女の区別なく労働環境を改善することが重要なポイントではないでしょうか」
 上智大学在職中に留学したノルウェーでは、女性が産休をとった翌年に、今度は夫が育休をとるケースなども少なくないそうだ。
 「日本も、もっと余裕を持ってほしいなと感じますね。困難なことは多々あると思いますが、男性も女性も、後進のために道を切り拓く努力を惜しまないでほしいと願います」

綿密な準備や練習を重ね、わずか10秒の実験に挑む。旧三井砂川炭坑にて。
卒業生たちの活躍に
心からのエールを

 池内先生は、退職後も年に1、2本のペースで論文をまとめてきた。退職前はことに多忙を極め、研究をともにした多くの学生たちの名前を論文に出したい、という思いが叶わなかったからだ。今は、最後の論文を準備しているという。「これを仕上げたら、お役ご免かしら」と表情をゆるませる池内先生。これからは、趣味の絵や書を楽しむ時間も持てそうだ。
 卒業生とは同窓会で会えるのを楽しみにしている。「みなさん立派になられたなあと、いつも感慨深い思いをするんですよ。さまざまな業界で活躍する卒業生の成長を見るにつけ、心からうれしく、幸せなことだと感じています」

池内温子先生 プロフィール
池内温子先生

1964年、上智大学理工学部化学科助手に。その後、講師、助教授、教授を経て2005年に退任。
1967年から69年にNorwegian University of Science and Technologyに留学し、工学博士号を取得。
93年度は、研究休暇でUniversity of North Carolina at Chapel Hillに滞在した。


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