第2章
1号館を深掘りする
第1節 1号館の歴史と概要
キャンパス移転計画
1918年「大学令」が制定されると、慶應義塾大学、明治大学、法政大学、日本大学、早稲田大学、同志社大学をはじめ、国内の22校が私立大学として認可されました。一方で、上智大学は供託金を工面することができず、大学への昇格は1928年にずれ込みました。
大学昇格に向けて努力を続けていた1920年代後半、ヘルマン・ホフマン初代学長(1864-1937)は、キャンパスが手狭であることを理由に、郊外に広大な土地を購入し、キャンパスを移転しようとします。移転先として候補にあがったのが、東京府千歳村(現在の東京都世田谷区千歳船橋)でした。
資料番号:図面-002_1
千歳キャンパス校舎平面図(1927年)
この図面は、千歳キャンパスに建設予定だった校舎の平面図で、ヒンデルが設計したものです。図面には「昭和二年九月」「Sept.1927」という記述があることから、ヒンデルが横浜に事務所を開設する前からすでに学院と接点があったことがうかがえます。しかし、最終的にこの移転計画は実現しませんでした。
1号館ができるまで
「大学令」により大学に昇格すると、多数の学生が収容できる校舎が必要となりました。そのため、四谷キャンパスに新校舎が建設されることとなったのです。1号館の建設資金を集めるにあたっては、多くの寄付が寄せられました。募金活動を手掛けたのはブルーノ・ビッテル神父(1898-1988)でした。ビッテル神父はドイツ国内だけでなく、オランダ、フランス、米国などのカトリック教会や学校宛てに寄付を呼びかけました。
右の写真はその際に使用された募金用紙(ドイツ向け)です。「1ライヒスマルク」と印字されたレンガのイラストが描かれているため「レンガ募金」と呼ばれていました。
募金記録には、「日本のカトリック大学の新しい建物のために」と書かれており、寄付者はレンガ部分に署名をしました。1号館は、世界各国の人々の善意によって竣工に至ったのです。
なお、この募金用紙は、現在もソフィア・アーカイブズで大切に保管されています。
資料番号:ネガ1-0071(color)
募金用紙
1号館の概要
1号館は1930年6月15日に起工、1932年6月12日に竣工しました。【写真①】は建設中の1号館を撮影したものです。
資料番号:ネガ1-0357
【写真①】建設中の1号館(1931年)
資料番号:ネガ35A-0036
【写真②】竣工した1号館(1932年)
施工は鉄筋コンクリート建築を得意とした木田組が、大学側の工事監督は建築家でもあったイグナチオ・グロッパー修道士(1889-1968)が担当しました。
竣工した1号館は、鉄筋コンクリート造4階建てで建坪1,038㎡、屋上と地下を入れると4,579㎡という大学構内でもひときわ目立つ建物でした【写真②】。
戦前のキャンパスには、赤レンガ校舎(1945年戦災により焼失)と1号館しか校舎が存在しませんでした。竣工当時、1号館地下には書庫や食堂、銃架室(武器庫)が、1階には図書室や事務室が、2階から4階には教室と講堂が設けられており、その役割は非常に大きいものでした。
下の写真は、1号館竣工時に作られた建築様式や建築構造、各階の用途などが記された『新築校舎大観』と1号館の竣工当時から1950年代の写真です。
資料番号:FC015-002-001
新築校舎大観(1932年)
資料番号:ネガ1-0400
1階書庫(現・106教室)
資料番号:ネガ1-0399
1階図書室(現・101教室)
資料番号:ネガ1-0394
1階ロビー(現存せず)
資料番号:ネガ35A-0065
講堂
資料番号:ネガSUP-4x5_55
3階廊下
資料番号:ネガ1-0401
4階教室(現・403教室)
第2節 1号館にみるヒンデル建築の特徴
1号館には、ヒンデルのこだわりと独自性が随所にみられます。ここでは、それらの特徴を紹介してゆきます(監修:川島智生氏、神戸情報大学院大学)*3。
*3 本節の解説を掲載した
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をご参照ください。
①セットバック
セットバックとは、建物を道路境界線から後退させて建てることです。現在1号館の北側(四ツ谷駅側)には2号館や聖イグナチオ教会が建っていますが、1号館が建設された1930年頃の1号館周辺は、民家が建ち並ぶ住宅地でした。「北側斜線」(日照権)の関係でセットバックした設計になったと言えます。
②スキップフロア手法
スキップフロアとは、同じフロアで床の高さに変化をつけた空間を指します。正門側から入ったフロアと、階段で繋がった先の教室が並ぶフロアとでは、同じ階でありながら床の高さが異なっています。同様の事例として札幌の旧藤女子女学校でもこの手法を使っていました。このスキップフロアの手法は、ヒンデルの空間の使い方へのこだわりと読み取れます。
③3層構造
正面から見ると全体の構造が3層となっています。下から1階層目が基礎となる部分、2層目は窓と軒の水平線を強調した部分、3層目が屋上に作られた部分です。ここには旗立台が取り付けられています。また壁面の色と色彩によって3層に分けることもできます。1層目が花崗岩(白を基調として黒や灰色の粒が入っている石)、2層目は茶色いスクラッチタイル張りの壁、3層目となる屋上部分が黄土色のタイル張りの壁部分となります。
④窓台と軒の帯状の石
アルミサッシがない時代、窓の下の窓台と軒には石を張ることが多くありました。明治から昭和にかけて、格式のある建物には多く用いられるスタイルでした。石の表面がルスティカ仕上げ(表面を削らずにごつごつした仕上げ)になっているところから力強さを感じます。学校の校舎では他にはない事例です。
⑤テラコッタの装飾
低層部分の窓の間にテラコッタ(赤色の粘土を素焼きした焼き物)の装飾が埋め込まれています。2種類の意匠(デザイン)があり、1つは中央にひし形を強調した模様、もう1つは縦溝と横溝からなる模様です。特に写真右側のデザインは他に類例がない意匠です。
⑥花崗岩の門柱の模様とアラベスク文様
花崗岩の柱
花崗岩上のアラベスク文様
昆虫のような魚のような
星の拡大写真
1号館玄関の上の星型の灯
正門近くの出入り口には太い花崗岩の立派な柱が2本あります。この柱に彫られた模様は何に見えますか?昆虫のような、魚のような、カメの甲羅のような・・・。どのような思いがこのデザインに込められているのか想像してみてください。花崗岩の2本の柱の上の水平な壁には4つの星のようなアラベスク文様(イスラム美術で用いられる幾何学的な模様の組み合わせ)の飾り窓があり、夜になると光を放ちます。そして一歩入って真上をご覧ください。天井には星形を2つ重ねた灯があります。当時、こうした文様が流行っていたようです。廻り縁にはヨーロッパの伝統的なレリーフ(浮彫の細工)が装飾されています。
⑦アーチ型の窓
低層階の窓は半円アーチ型になっています。これはルネサンス様式の特徴と言えるでしょう。
⑧3階天井
ここからは内観の特徴をみていきます。正門側から入り2階から3階に上がった踊り場の天井のデザインも当時のまま残っています。照明器具の廻りには竣工当時の石こうによる浮彫の彫刻(センターレリーフ)が見えます。
⑨廊下のタイル模様
各階の廊下には鮮やかなえんじ色とクリーム色のタイルを組み合わせた幾何学模様のタイルが敷き詰められています。地下1階と地上2階、1階と3階が同じ模様です。これもヒンデルのこだわりなのかもしれません。