第4回 輝くソフィアンインタビュー Oum Ravyさん

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Oum Ravyさん プノンペン大学副学長 2002年修了(大学院・外国語学研究科地域研究専攻博士後期課程)

2011.06.01

上智で過ごした「感謝の6年間」 ささえてくれた全ての人に感謝します。Oum Ravy(オム・ラヴィ)さん プノンペン大学副学長 2002年修了(大学院・外国語学研究科地域研究専攻博士後期課程)

Oum Ravy(オム・ラヴィ)さん プノンペン大学副学長
2002年修了(大学院・外国語学研究科地域研究専攻博士後期課程)

オム・ラヴィさん
貧困や周囲の反対にめげず勉強を続け、
女性初の王立プノンペン大学副学長になりました

私は2011年2月より、王立プノンペン大学の副学長を勤めています。カンボジアと世界の国々との国際交流を推し進める役割を担い、留学生の受け入れなどを通じて海外の大学との連携を深めているところです。カンボジアの学生により多くの学びの場を与えるために、奨学金制度の整備などもしています。知識階級がいなくなったポル・ポト政権以降も、カンボジアの教育環境はまだ十分とは言えません。今もカンボジアの学生が自国で学べる分野は限られているのが現状。ですから学生には、世界に目を向けて国外のことをもっと知ってもらいたいと思っています。そのための活動の一つとして、現在、上智大学の石澤学長の力添えで、上智の学生とプノンペン大学の学生の交流の場をつくっているところです。

今でこそ国の教育に関わる立場になりましたが、私は元々農家の娘。ポル・ポト時代に父を亡くし、母と姉妹で暮らしていたので、決して豊かではありませんでした。女性は家にいるものという考えが当たり前の時代でしたから、勉強したいと言っても賛成してくれる人は本当に少なかったです。16歳のころ、結婚するよう強く勧められ、母と揉めたこともありました。それでも私はあきらめずに働きながら高校に通い、王立プノンペン大学に入学したのです。今はプノンペンで女性の社会進出が始まっていますが、当時の私が大学に進学するということはかなり珍しい進路でした。

日本だからできた「育児と学業の両立」
多くの人にささえられた上智での6年間。

海外留学のきっかけは修士課程に進みたかったから。カンボジアには当時プノンペン大学には、修士課程がなかったのです。ただ、留学する費用はなかったので、国の奨学金制度を探すことにしました。実はオーストラリアの奨学生試験にも合格していたのですが、日本はカンボジアの最大の援助国であり、その文化にも興味を持っていた日本に決めました。訪日後、まず大阪外語大学で日本語を2年間学び、その後上智大学に入学。上智を選んだのは、上智がカンボジアとの交流の機会を1980年から持っていたことが理由です。特に学長の石澤先生は、アンコールワットの歴史など、カンボジアの歴史を詳しくご存じだったので、本当にびっくりしました。

上智での6年間は日本への感謝の6年間。上智に在学2年目に、私は出産を経験しました。留学中の出産は一大事。でも、日本は2ヶ月の子どもから保育園に入れられますし、子どもが病気をしたときは医師がとても優しくしてくれました。日本は本当に素敵な社会だと思いましたね。勉強仲間との思い出も数え切れません。日本語がまだ苦手だった頃、講義の内容を英訳してくれる優しい仲間もいました。月に1、2回、自宅に友人を招き、カンボジア料理を振る舞ったことも。カンボジア料理で使われる麺と似ているそうめんを茹でて、カンボジア風のソースで味付けするのです。本場とは少し違うのですが、美味しいと好評でした。忙しい学生生活でしたが、日本には幸せな思い出がたくさん。学生仲間はもちろん、ささえてくださった全ての方に感謝ですね。

ソフィアンだけでなく区役所や医師の方々、
全てに「ありがとう」を伝えたい。

私は2002年3月に上智で博士号を取り、同年4月にカンボジアに帰国しました。王立プノンペン大学やその他の大学でアジア文学や英文学を教えた後、2003年11月からはJICA(国際協力機構)のプロジェクトに参加いたしました。当初は年齢の若さが理由で、周囲からセンターをしっかり運営できるか不安視されていましたね。しかし、日本で生活したおかげで、日本人とうまくチームを組みながら活動をすることができたのです。センター長を務めた7年の間に、アジアに8つある他の人材開発センターの中で最も多くの交流成果とイベントを成功させたこともあり、活動実績が高く評価されました。王立プノンペン大学副学長に任命されたのはそのためだと思っています。

私は上智大学のみなさんやお世話になった区役所や医師の方々など、全ての人にありがとうと言いたいです。そして、もし、みなさんがカンボジアに来る機会があれば、ぜひ王立プノンペン大学に足を運んでほしいですね。お会いできない方に対しても、私のように貧乏な家族から、副学長になった人もいることを知っていただきたいと思っています。「あきらめずに頑張ればなんとかなる」と感じてほしいのです。東日本大震災が起こったとき、偶然にも私は、上智の仕事の関係で都内のホテルにいました。テレビで放映される災害の様子を見て、何度も何度も涙しました。でも、将来のために、みなさんには元気を取り戻してほしい。みなさんが元気になるまで私は、カンボジアから日本へエールを送り続けるつもりでいます。

「王立プノンペン大学との学術交流協定」の提携

2011年3月12日(土) 「王立プノンペン大学との学術交流協定」の提携を行いました。東日本大震災の影響で、今回の記事の掲載が4月20日オープンに間に合いませんでした。文中の役職は2011年3月現在のものです。ご了承ください。
左からEk Buntha(エック・ブンタ)教授(カンボジア文化芸術省政策局長、王立芸術大学教授)、Oum Ravyさん、上智大学 石澤学長、Ly Vanna(リ・ヴァンナ)教授(シハヌーク・イオン博物館館長、王立芸術大学教授)。
エック・ブンタ教授は上智大学大学院博士前期課程、リ・ヴァンナ教授は、同後期課程をそれぞれ修了されています。


Oum Ravyさん プロフィール

1969年 カンボジア・コンポンチャム生まれ
1989年 王立プノンペン大学人文学部 卒業
1995年~1996年 日本政府文部省国費留学生として大阪外語大学留学生日本教育センターで研修
1997年 上智大学大学院外国語学研究科地域研究専攻博士前期課程入学
2002年 同大学院修了 博士(地域研究)
カンボジア日本人材開発センター長を経て、2011年2月より王立プノンペン大学の副学長に就任。国際交流の担当として、海外留学生の受け入れや奨学金制度の整備など、カンボジアと世界の国際交流と学習環境整備のため尽力している。


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