第1回 地域便り

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ミシガン州便り 大高慶子(旧姓:猿田)さん

2011.04.20

「まさかの渡米?!」

 「アメリカで子供を育ててみないか」と夫が言い出し、これで断って定年後に「あの時アメリカに行ってたらどんな人生だったろうね。」と言われるのもなんだか...と人生の一大決心。「イヤだったらすぐに帰ってくればいいのよ」と送り出してくださった方々に支えられながら年月を重ね、すでに7年目。その間、予想だにしていなかったことの連続で、なんとここが3州目。その都度、「何でこんなことに...。」と思いながら悪戦苦闘するものの、後で振り返れば 、いろんな意味で日本に近く軟着陸できた南カリフォルニア、みんな知り合いのド田舎で安全に伸び伸びとチビたちが育ったテネシー、そして勉強やスポーツなど、総合的な教育環境の優れた今のミシガンと、それぞれがそのときそのときの我が家にとって最適な環境だったと、天の配剤にただ感謝。

 思えば、もっとも苦手だった英語の学校に「受かったから」と入ってしまって後悔した25年前。いやいやながらの勉学の日々だったが、アレがあるから今日があるのか、今日のためにアレがあったのかはわからないが、アレのおかげで言葉の壁も文化の壁も低くて済んでいるのだろうと、あの当時は地獄のように思えた2年間に心から感謝している。

友人達と野菜仕分け作業中に

息子が所属する
野球チームのメンバーと  

 駐在ではなく自分から職を探して外国に住むというのはいろいろな意味でかなり厳しいもので、家は日本のものより狭いし、会社が守ってくれる部分は薄く、食べ物はパンはもとより納豆や豆腐まで手作りして節約、美容院も服も靴もなかなか手が出せない。 なぜそこまでして住んでいるの?と聞かれると困るが、一番は「子供のため」。10年前、アメリカ駐在だった兄のところに遊びに行った夫が、「40近いおっさんにまでドアを開けて待っていてくれる。車は歩行者に道を譲り、子供たちは外で元気に遊び、大人に対してもちゃんと挨拶ができる。ゲーム漬けの子もいない。そんなところで子供を育てたい。」そしていま、上の子は野球、下の子はバレエにがんばっている。どちらの環境も、我が家では日本で到底与えてやれない。イチローではないが、野球場を一人で一日使えたり、冬場は室内練習場に毎日通え、時にはプロが来て教えてくれるなんて・・・。
 この先どんな道を歩んでいくのかわからないし、日本語をキープするのはとても大変だけれど、当人たちががんばっている間は、しっかりやらせてやりたいと思っている。

 

 早ければ10月に雪が降り始め、冷凍庫の中を車で走っているような生活。4月の半ばでも「雪が降ってきてボールが見えないから」とプロ野球が中止になることもあるこのミシガン。そして5月。今までの遅れを取り戻そうとするかのように、いっせいに木々が芽吹き、そこかしこがあっという間に緑の葉でいっぱいになり、あたり一面花ほころぶ美しい春の到来。冬のつらさを忘れさせてくれる恵みで、生きていることを実感できる嬉しい時。 どこに住んでいても、自然同様、人生も「苦あれば楽あり」なのかな?

大高慶子(旧姓:猿田) アメリカ合衆国ミシガン州在住 

*大高さんのアメリカ滞在記は、上智短期大学ソフィア会ホームページの 「ミシガン便り」 に掲載されています。そちらも併せてお読みください。

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