─ 72 ─沿革 年譜 経済学部(経済学科、商学科)を開設。 学専攻)、西洋文化研究科(西洋文化専攻)、経済学研究科(経済学専攻)の修士課程を開設。 大学院に神学研究科(組織神学専攻)、哲学研究科(哲学専攻)、西洋文化研究科(英米文学専攻及びドイツ文学専攻)、経済学研究科(経済制度・組織専攻)の博士課程を開設。 学科、ロシア語学科)開設、したがって文学部外国語学科は廃止。 大学院に文学研究科(教育学専攻)、法学研究科(法律学専攻)、理工学研究科(機械工学専攻、電気・電子工学専攻、応用化学専攻、化学専攻及び物理学専攻)の修士課程を開設。 大学院西洋文化研究科(西洋文化専攻)の修士課程を文学研究科(史学専攻、英米文学専攻及びドイツ文学専攻)の修士課程に改組。 大学院西洋文化研究科(英米文学専攻及びドイツ文学専攻)の博士課程を文学研究科(英米文学専攻及びドイツ文学専攻)の博士課程に改組。 大学院文学研究科に国文学専攻及びフランス文学専攻の修士課程を増設。 大学院に法学研究科(法律学専攻)及び理工学研究科(機械工学専攻、電気・電子工学専攻、応用化学専攻、化学専攻及び物理学専攻)の博士課程を開設。 経済学部商学科を経済学部経営学科に名称変更。 本学の創立は、遠く東洋伝導の先駆者聖フランシスコ・ザビエルの宿願に基づいている。ザビエルはわが国に滞在中(1549~1551年)西欧の最善の文化財を供給しうる高度の教育機関としての大学を、わが国の首都に設立する計画をもっていたが、滞在期間が短かったので、実現には至らなかった。 それから約360年たった1906年、ローマ教皇ピオ10世がザビエルの属したイエズス会に、大学設立の事業を委託したことによって、その念願が実現の緒についた。 1908年、ドイツ人ヨゼフ・ダールマン師、フランス人アンリ・ブシェー師、イギリス人ジェームズ・ロックリフ師が、この理想をもって、わが国に新しい大学を設立するため来朝し、その準備にかかった。1910年に来朝したドイツ人ヘルマン・ホフマン師は、1911年財団法人上智学院を設立し、ついで1913年上智大学を現在地に設置して、初代学長となった。 以来本学はキリスト教の世界観に基づき、最高の教育並びに研究機関としての大学の使命を果たすとともに、当初より多数の外国人教授を擁し、東西文化交流のかけ橋として、わが国の大学の中でも独特な地位を占めている。 1911年(明治44年) 財団法人上智学院設立。 1913年(大正2年) 専門学校令により上智大学(哲学科、独逸文学科、商科)開設。 1928年(昭和3年) 大学令による上智大学(文学部-哲学科、文学科、商業部-商学科)開設。 1932年(昭和7年) 専門部(経済科、法科、商科、新聞学科)開設。 1948年(昭和23年) 学校教育法による新制大学として文学部(哲学科、史学科、英文学科、独逸文学科、新聞学科)、1951年(昭和26年) 私立学校法による学校法人上智学院設立。新制大学院神学研究科(神学専攻)、哲学研究科(哲1952年(昭和27年) 文学部に教育学科増設。 1955年(昭和30年) 文学部に外国語学科(英語、ドイツ語、フランス語、イスパニア語各専攻)増設。 1957年(昭和32年) 法学部(法律学科)開設。文学部外国語学科にロシア語専攻増設。 1958年(昭和33年) 神学部(神学科)開設。外国語学部(英語学科、ドイツ語学科、フランス語学科、イスパニア語1959年(昭和34年) 文学部に国文学科増設。 1962年(昭和37年) 理工学部(機械工学科、電気・電子工学科、物理学科、化学科)開設。 1964年(昭和39年) 外国語学部にポルトガル語学科増設。 1965年(昭和40年) 理工学部に数学科増設。化学科に化学専攻、応用化学専攻設置。 1966年(昭和41年) 文学部に社会学科、フランス文学科増設。 1968年(昭和43年) 大学院文学研究科に教育学専攻及び日本史学専攻の博士課程を増設。 本学の沿革と年譜
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