法律学科 浅川 莉沙

2017年東ティモール・スタディツアー

グスマオ元大統領に質問(左)

東ティモールは2002年に独立してから、わずか15年しか経ていない国である。主な産業はGDPのわずかにしか満たないコーヒーで、残りは10年後に枯渇してしまう見通しの海中油田からの収益に頼っている。物資のほとんどを輸入している極端な赤字貿易に加え、栄養失調で亡くなる国民に苦しめられているため、食料自給率を上げようと農業に力を入れることを推進しているものの、土地法が進んでいないために、農地の所有問題が心配されている。若者の就業率は40%で、安定した収入が得られず、貧困の中で暮らす者も少なくない。電気に水道、道路も首都のディリでは比較的普及し、整備されているが、少し郊外に行けば、インフラは未熟である。医療も未発達で、医者も不足していれば、日本では簡単に治療できる病で命を落とす者も少なくない。言語も統一されていないため、国民同士の意思の疎通が正確にできない地域もあり、国家をまとめる際に影響をきたしている。ここまでが事前準備として読んだ資料や現地で働く日本職員から聞いた東ティモールの現状である。問題点をあげればきりがないだろうが、一体どこから始めれば、この国は安定した近代国家として発展することができるのであろうか。他国のことでありながら、本気でこの国の将来に不安を抱いた。

ツアーの学生リーダーを務めた

それでも、この国の人々はあまり問題を意識していないようである。否、問題に目を向けるよりも、より良い未来を見据えていると言った方が正しいだろう。
このスタディツアーでは引率の東教授の計らいにより、東ティモール外務省のアジア担当局長、2002年から2006年まで首相を務め、現在最大野党のFRETILINの事務局長で実質的にNo1のマリ・アルカティリ氏、そして建国の父とも言われ、2006年から2015年に首相を務め、今も、計画と投資担当大臣として東ティモールをリードし続けているシャナナ・グスマオ氏とお会いする幸運に恵まれた。
外務省の局長に、国を発展させる際に何から始めるべきなのかを問うと、すべて同時進行に問題を克服するべき中、国民の教育と健康を最も優先させるべきであるという答えが返ってきた。しかし、15年前まで非識字率が75%で医者が国全体で6人しかいなかったことを考慮すれば、この国は大きく前進しており、これからもその歩みがとどまることはないと確信した様子で語っていた。アルカティリ氏との面会では、2006年の政治危機以降、現在まで続く連立政権についての彼の意見に注目したが、この国の未成熟な基盤を支えるためにも今後しばらくは実質的に野党が不在の巨大連立政権を保った政治体制は続くであろうという見解だった。しかし、彼はそれについて懸念を持つどころか、国民が真に実力のある政治家を選んでくれて、その当選した議員が国の未来のために自らの職務を遂行してくれることを信じて疑っていない様子であった。私はこの二人に共通する、よく言えば前向き、悪く言えば楽観的な姿勢を前に、国家の代表として我々のような外国人学生にできるだけ東ティモールについて良い印象を持たせるために披露したものだったのではないかとしばらく半信半疑でいた。

しかし、私たちが出会った一般の人々も高官たちと同様、より良い未来が来ることを信じていた。イグナチオ学院高校の生徒たちの多くは医者か弁護士のいずれかになることを夢見ており、中には大統領を狙っている子までいた。コーヒー工場の男性労働者たちは1日5ドルしかもらえない給料の中でも、コーヒーを生産していることに誇りを持ち、ティモールのコーヒーが世界に広まることを信じていた。通訳のエヴァリストさんもこの国に明るい未来が当然来るものだと考えていた。彼らの希望はどこから来るのだろうか?
グスマオ氏によると東ティモールが独立後も大規模な内戦を継続させることなく、安定的な国家建設が図れたのも、そのinclusiveな社会にあることを熱心に語っておられた。日本人目線からは東ティモールの社会はトップダウン式で、上の者が動かないと下にある者は何の行動を起こせないのだという見方もあったが、グスマオ氏など現地の方の認識としては、確かにここの社会において人々は各々のコミュニティーに所属しており、それらのコミュニティーには必ず村長など権力を持つリーダーが存在している構図を取っているが、そのリーダーも合わせて全員で何かの行動を共に起こしていく形態を成しているそうである。そう言えば、ディリの地区警察署でも、地元の学校や村々を警察官が見回り、そこで生じた民間人の間の紛争を解決するために力を注いでいるのだと語っていた。問題を共に解決するだけではない。イグナチオ学院では、学生たちがそれぞれのお弁当のおかずを友達や私たちに分け与えてくれた。ここでは、家族や友人と食事することは当たり前で、食べ物も共有し合うのだとか。本当に互いに助け合い、喜びも苦しみも分かち合う社会ができているのだと実感させられた。そのような一体性を持った社会だからこそ、15年前の焼野原から今の街を復活させることに成功できたわけで、これからも発展は続くのだとグスマオさんは力強くおっしゃった。

国民の一体性を最も実感できたのは選挙運動の際だろう。東ティモールでは3月20日に大統領選挙が行われる。私たちが滞在している間にも選挙活動は始まり、主力政党のFRETILINの旗を仰ぎながらバイクで町中を駆け巡る団体と出会うことができた。レファレンダムによってインドネシアから独立を勝ち取った東ティモールでは選挙の投票率が80%を上回る。それだけ国民が自身の一票に未来を託しているのだろう。実際FRETILINから出馬する候補者を応援する有権者たちと話すと、彼らは自身の責任を深く受け止めていた。
「近代国家」とは国民が主権を持つ国家であると昔社会の授業で教わったが、ここに来て初めて国の原動力は国民なのだと思うことができた。彼らが仕事や投票を通して、国を動かそうと一丸となって行動すれば、きっと近いうちに教育も医療も向上し、多くの人の暮らしが豊かになれるかもしれないと私にも思えてきた。

そして、そんな自立に向けて動き出したばかりの東ティモールのためにJICAやPARCICなど支えもある。PARCICは日本のNGO団体で、ここのコーヒー栽培とまだまだ家庭内暴力の多いこの国の女性たちの地位と収入の向上のために力を尽くしている団体である。同じ日本人として彼らの貢献は誇りに思えたのと同時に、今後も搾取ではない、パートナーとして持続的に協力ができる海外の援助団体が増えることを願った。
日本人が東ティモールの援助をしているおかげもあるのだろうが、この国の人たちは私たちを快く歓迎してくれた。道行く人々は手を振り、コーヒー工場の労働者は私たちが折った鶴を持ち上げて喜んでくれた。ショッピングモールでは女の子たちから一緒に写真撮ってくださいと言われ、大学で英語を専攻しているという青い帽子の似合う男の子もフレンドリーだった。東ティモールの人たちは皆とっても素敵な笑顔をする。東京で都市型の人間の生活をしていると、しばしば人間の温かさと言うものを忘れてしまうが、ここへ来て、みんなが家族のようなこの人たちと出会えて、失くしていたそれを取り戻せた気がする。

大規模な工場が未だ少ないこの地では、当然ながら汚染も少なく、サンゴ礁やマングローブは健在であれば、空と海の境界が分からないほど、どこまでも広がり、澄んでいる。灼熱の暑さから解放された夕暮れ時、涼しい風に誘われるように人々は海岸に集まり、赤く射した空の下、太陽が西の彼方に徐々に沈みゆく姿をひたすら眺める。初めは不可解だったその慣習も、もしかしたら、明日が今日よりも良い日であることを願う儀式なのかもしれないと今なら思える。東ティモールは再び訪れたい、温かく、活力に満ちた将来性のある国だった。

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