総合グローバル学科 加藤 優季

2017年東ティモール・スタディツアー

三脚を抱えて

生暖かい空気に包まれた南国に降り立って、ここの空気が生暖かいというのは、決して気候が温暖なだけではないことを感じ始めていた。経済発展への熱があまりにも感じられないのである。独立から15年がたち、発展途上にあるはずなのに、あまりにも熱くない。むしろ、倦怠感を覚えるような生暖かさが社会的に広がっていたように思う。
1999年に国土が焼け野原になり、2002年に建った東ティモールは、2017年になってみても、その社会的・経済的な発展に猛然としたものが感じられない。国全体の人口はわずかに130万人である。労働力としても市場としても大きいわけではなく、産業もあまり育っていないそうだ。私が以前訪れた、バングラデシュの、沸き立つように発展を推し進める熱いエネルギーが、ここでは感じられない。私はただ、だるいような生暖かさを感じた。
しかし、始めに感じたこの生暖かさが、この国家の確固とした選択の上に成り立つものなのではないかと、私は考え始めた。東ティモールの二人のリーダーが、その選択を私たちに示してくれたからである。

大統領選挙ポスターの下で

元首相のマリ・アルカティリさんは東ティモールの未来について、大きな国と競争はしない、ニッチ、エコロジカル、オーガニックなものを目指していくと語った。そして、アルカティリさんのかつての政敵、シャナナ・グスマオさんは、私たちとの面会で「日本は平和を輸出するべきだ、競争に加わってしまってはいけない。」と提言した。両者の支持者の間で武力衝突が起きたこともあったが、競争に価値を見出さない、その哲学があればこそ、東ティモールの平和は守られた。政治的な競争であろうと、経済的、社会的なそれであろうと、競争に重きを置かないという東ティモールの選択が、独立以来二人も持ち続けてきた、この国の信念なのであろうか。

グスマオ元大統領と

2002年に独立を勝ち取ったあと、その独立戦争での勝利を最後に、この国は、コンペティションやライバル心というものに別れを告げたのではないか。国を挙げて、競争や勝負に価値を見出さないという選択をとったのではないか。2006年の内戦の危機を乗り越えた、その選択の確固たる自信に基づいて、コンペティションの熱が排除されているのではないか。アルカティリさんとグスマオさん自身と、東ティモールの人々が、平和な繁栄を願ってこの選択をしたのであろう。それをリスペクトすれば、ここにきて、私はこの国の空気を「生暖かい」とネガティブに形容するのではなく、「あたたかい」とポジティブに形容しなければならないことに気が付いた。この国は、熱くない。とてもあたたかい。
平和な未来を築くひとつのヒントを、東ティモールは、そのあたたかさで示してくれた。

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