上智大学

大学案内 戦後 上智大学の発展

戦後 上智大学の発展

戦後 上智大学の発展

1654年頃
1654年頃のキャンパス

日本もドイツも第二次世界大戦で敗れ、国土は廃虚と化しました。そこで上智大学はアメリカの経済的な援助によって現在、駐車場、7号館、上智会館の敷地、およそ7,000坪を購入し用地を拡張しました。そして1952年に旧図書館を建設しました。

1953年には大泉孝教授(イエズス会員)が第5代学長に就任し、教育研究・教育環境整備のため5か年計画を作成しました。5か年計画の中には、男女共学を取り入れること、体育館、学生寮の増設等、大きな目標が掲げられておりました。しかしこの5か年計画を達成するためには、200万ドル(7億2千万円)が必要で、ローマのイエズス会本部に計画を示して援助を求めたところ、ヤンセン総会長(故人)から半額の 100万ドルなら援助できるとの回答を得ました。回答は分割で毎年、20万ドル、5年間をかけて援助するというものでした。この資金はアメリカのイエズス会に依頼し、アメリカのイエズス会から上智大学に援助するという内容でした。またドイツのケルン大司教区と東京大司教区が友好関係を結び、ケルン大司教区も上智大学に援助してくださることになりました。大泉学長は1955年にケルン大司教区を訪問して、いっそう関係を深めました。

1954年頃の資料
1954年頃の資料

こうして5か年計画は海外からの援助ですすみ、1956年のクリスマスには学生寮を含む上智会館が落成しました。翌57年には法学部が認可を受け、2号館の完成をみました。58年には練馬区石神井に神学部が、また四谷キャンパスでは、外国語学部が文学部外国語学科から独立して増設され、ホフマン初代学長ら創立者が夢にみた上智大学はようやく本来の軌道に乗ることができるようになりました。

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