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大学案内 絶対主義に対抗 イエズス会の解散

絶対主義に対抗 イエズス会の解散

絶対主義に対抗 イエズス会の解散

社会風潮がひどく乱れていたルネサンス時代に創立したイエズス会は民衆の道徳的な水準を高めるためには皇帝や国王をはじめ領主、貴族等の支配階級にある者が、己の栄華を求める生活を改めさせなければならないと考えました。その目的を達成するためには、支配階級の子どもたちに知育ばかりでなく、徹底した道徳教育を施すという教育方針を立てました。この方針に対して諸国の国王をはじめ支配階級にある者たちは反発しました。

17世紀のドイツも絶対主義の時代で、イエズス会員が支配者の道徳的な責任について追及する説教をし、また書物に著したため、国王はイエズス会総会長に時代の趨勢に反するような説教は行わないよう要請しました。こうしてイエズス会は絶対主義と啓蒙思想に対抗したため18世紀にはスペイン、ポルトガル、フランスの諸国から会員は次々に追放され、さらにフランスのブルボン家と、オーストリアやスペインのハプスブルク家の諸侯は、教皇クレメンス14世にイエズス会を抹殺するように迫ったのです。

教皇クレメンス14世もこれらの要請に抵抗できず、教皇への絶対的な服従を誓願の一つとしているイエズス会に、1773年7月21日、「教会の平和のために、親しい者でさえ犠牲にしなくてはならない」との書簡をもって、イエズス会の解散を命じたのです。イエズス会はその命令に即座に従いましたが、ロシア政府は教皇の命令を発表しなかったため、150人ほどの会員が合法的に存続することができました。

イエズス会が再び教皇ピオ7世から活動の認可を受けたのは解散を命じられてから41年が過ぎた1814年8月7日のことでした。

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