上智大学

大学案内 イエズス会の創立と同志たち

イエズス会の創立と同志たち

イエズス会の創立と同志たち

マンレサを後にしたイグナチオはエルサレムに巡礼し、そこで司祭になるという使命をいだいて1524年、スペインのサラマンカ大学でラテン語の勉強をはじめたときにはすでに32歳でした。さらに2年後にはアルカラの大学で学び、1528年、パリに向かいました。

当時、パリの教養学部に入学する新入生の年齢は15,6歳でした。そして20歳ぐらいで修士号を取得し、さらに神学・法学・医学等の学部に進学する者もおりました。イグナチオはパリ大学の50以上もある「学院」の中で「聖バルバラ学院」に入学し、若い学生に負けずに勉強して教養学部の修士を取得、さらに神学課程に進学し、学位を得たのは1534年で、イグナチオはすでに43歳になっていました。パリ大学では長い間、ヒューマニズム(人文主義)という新しい学問を取り入れることを拒んでいましたが、聖バルバラ学院は彼が入学する2年ほど前からその学問を取り入れていました。ここで受けた教育は、後に彼がイエズス会を創設し学校経営に携わったときの教育方針に大きな影響を与えたと言われています。バルバラ学院の学寮にはイグナチオがイエズス会を創設するとき、同志の一人として参加したフランシスコ・ザビエルも寮生でした。

パリでの生活の間にザビエルを始め、イグナチオに会って『霊操』の指導を受けたいというグループは6人になっており、イグナチオを含めた「7人の同志たち」は1534年8月15日、聖母マリアの被昇天の祝日にモンマルトルの丘のふもとにある小さな聖堂で誓願をたてました。

ここでの誓願は、キリストにならって清貧のうちに生き、隣人のために尽くすこと。貞操を守り、エルサレムに巡礼し、自分たちの生涯を人々の霊的指導に捧げること。エルサレムに永住が許されない場合はローマに引き返してキリストの代理者であるローマ教皇に拝謁して、教皇に従順を誓い、より大きな神の栄光のために、どこにでも遣わしてくださいとお願いするということでした。この「より大いなる神の栄光のために」は、イエズス会の標語として現在に及んでいます。

イグナチオと同志たちは司祭を志願して1537年ベネチアの教会でビンセンテ・ニグサンティ司教によって司祭に叙階され、共同生活をしながら、新しい会について討議し合い、会設立の要旨を作成してローマ教皇に提出しました。そして1540年 9月27日、ローマ教皇パウロ 3世から正式に「イエズス会」創設の認可を受けました。翌1541年 4月14日、会員の投票によってイグナチオは新生イエズス会の初代総会長に選出されました。ちなみに現代のコルヴェンバッハ総会長は第29代です。

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