第2回 地域便り

沖縄県便り 高野かほる さん

2011.04.20

ゆいまーる

 

こんにちは。私は今、白い砂のビーチで暖かい潮風に吹かれながらこの文章を書かせて頂いています。上智社会福祉専門学校(以下、社専)卒業生の高野かほると申します。東京育ち江戸っ子四代目の私ですが、卒業と同時に沖縄の大学に編入学し、現在は沖縄で暮らしています。
沖縄のビーチ

沖縄のビーチから

 

 社専へ入学をした頃は、介護福祉士の資格取得を目的としていましたが、学んでいるうちに社会福祉や精神保健福祉の方に学びの興味が移行し、現在は最終的に臨床心理士を目指しています。沖縄へは1人で移住してきましたが、結婚を機に念願の海辺に自宅を購入。現在は1歳になる娘の母ともなりました。つまり、このまま永住をすることとなりそうです。

   昨年度1年間は、育児に専念をしたかった為に休学をしていましたが、この4月から復学をし、また国家試験に向けての勉強の日々が始まります。子供を保育園に預かってもらいながらの大学生活。家事や育児との両立は、きっと想像以上に多忙となり、こうして海を眺めながらのんびりしている時間もなかなか取れなくなりそうです。

   こんな風に気ままに過ごす時間も幸福で気に入っていますが、自分のやりたいこと、主婦をしながら学生生活を送ることができる喜びも感じています。そして、それができるのも私の家族を始め、友人やご近所さん、様々な社会資源の支えのお陰だと強く思っています。こうした協力や応援がなければ、とてもじゃありませんが、今の私のライフスタイルは確立できないと思うからです。

   ここ沖縄にやって来て気がついたことが1つあります。東京で1人暮らしをしていた頃は、何もかもが便利で大抵の事は人の手を借りずにやってこられました。と、言うよりも、手を借りている事を感じることさえも無く、個人単位で生活をしていたように思えます。振り返って考えてみると、何時しか私は、人の手を借りることは人に迷惑をかけてしまう事、いけない事なのだと勘違いをするようになっていました。

  だから人に素直に甘えることができなくなっていたんですね。

 

海の青さは格別
 海の青さは抜群
沖縄での暮らしは、私にとって東京のように便利ではなく、実際に人の手助けがなければスムーズに暮らす事が難しくなりました。そんな中、当たり前のように快く手を貸して下さる周囲の人々。驚きに似た感動を何度も何度も頂いて、やがて私の心は、南国の気温に溶かされて行くかのように解放され、甘えることができる喜びを、自然に感じられるようになっていきました。地域の人々の助け合いが色濃く残る沖縄の日常は、幼い頃に育った東京の路地裏の“お隣さん”とのかかわりと少し似ていると思う事があります。だから親も親戚も居ない地ですが、幼い頃のように安堵の中で、喜びいっぱいに暮らしていられるのかも知れないとも思えます。

 沖縄の方言で「ゆいまーる」という言葉があります。支え合い、助け合いを意味するこの言葉は現在でも頻繁に使われ、そして実際にその「ゆいまーる」を日常でも感じることができます。私たち夫婦は、この素晴らしい「ゆいまーる」という言葉から貰って、娘の名前には「結」という字を使いました。支え合い、人と人を結ぶような人になって欲しいという願いと、私たち親自身もそうありたいと願いを込めました。

 人の温かさに感動しながら、その裏側にある不便さに少しだけ感謝をする。そんな私の沖縄ライフを報告させて頂きました。

(旧姓)高野かほる

※高野さんの高は本来はしご高ですが、ウェブ上の表記のため、便宜的に高を使用しています。

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